俳句と将棋 <2>

 深田久弥も将棋名人戦を見たときのことを書いている。(「きたぐに東京美術 1970)
 観戦した対局は、「老巧塚田名人と弱冠大山八段とが関東と関西の名にかけて覇権を目ざすという、運命的な試合、これこそ一流品中の一流品である」という勝負だった。
 五月二十二日午前十時、対局する部屋に入った深田は、「何か心がスーとするような気持ちだった。だるまを描いた床掛けと、つつじを活けた花活けがあるきりの、飾りっ気のない八畳間、清い青畳の上に、真新しい分厚い将棋盤をはさんで、羽織袴の両棋士がキチンと相対している。‥‥何の物音もない。森閑としていて、ただ谷川の音が間断なく聞こえるだけである。」
 深田はそこに寂びを帯びた礼儀を感じる。そして西洋の勝負事との違いを思う。「その清楚な閑寂な趣は、西洋の室内遊戯には見られない。(西洋の室内遊戯には)どこかざわついたところがある。勝負だけで他はどうでもいいというところがある。」そしてボクシングと相撲を比べる。ボクシングはただ勝負一点張りである。ところが相撲は「土俵に上がってから四股をふみ嗽をして塩で土俵を清め、それから勝負に入るという風に、一種の作法化したゆとりがある。相撲に負けて倒れても、付き添いが飛び出すということもなく、自分で起き上がってちゃんと相手に挨拶をすまして退場していく。」
 深田の観戦した将棋のその名人戦は加賀の山中温泉の河鹿荘が会場だった。
 両棋士は無言、端然として盤面に眼を落としたままである。両者は一言も交えない。名人は盤面凝視、ほとんど脇見をしない。大山八段は、まだどこか青年らしい初々しさのある顔で、時々疲れた眼を窓外の青葉に向ける。一手一手を指す時間が長くなっていく。一手を考えるのに長いときは一時間もかかった。それを傍らで見ていて、退屈を感じない。静寂そのもののなかに、盤面では駒と駒とが秘術を尽くして戦機をうかがっている。
 終盤に近づいていく。名人の駒が次々と肉薄してくる。大山八段は何とか切り抜けようと呻吟している風である。持ち時間が少なくなってくる。しかし取り乱した様子はない。
 「普通の勝負ごとであると、こういう場合に立ち至ると露骨にその焦慮を言葉や態度に現すものであるが、それをじっと心の中で耐え忍んでいる。こういう点にもやはり日本が守り貫いてきた一つの精神が見られる。
 相撲にしても将棋にしても、歴史の中でつくられてきたものがある。礼を重んじるのも、精神性が大切にされるのも、歴史の中で生まれた。相撲は農作物の収穫を占う祭りの儀式として、毎年行われて、後に宮廷の行事となった。
 将棋の歴史も古い。平安〜鎌倉〜室町時代の将棋は、駒数192枚、中将棋は駒数92枚だったとか。今は40枚。長い時間のなかで洗練されてきた。
 長谷川櫂は、「単純化するほど味わいが深くなるのが日本文化の真髄。多くの人が将棋や俳句に引かれる理由でしょう」と。

      人体冷えて東北白い花盛り
                金子兜太

 白い花はリンゴかコブシか。東北という風土の中を行くと急に冷気を感じることがある。東北の歴史が、旅する人の体にしのびよる。
 
      少年や六十年後の春の如し
                永田耕衣

 少年と言えば湧いてくるイメージがある。ああ少年、まるで六十年後の春のようだ、というのだ。理屈ではない。感じるものがある。
 そんな少年という存在が、今やえらいことになってきている。六十年後、どんな時代になっているだろうか。少年らしい少年は生きているかどうか。福島原発廃炉は何年かかるか分からない。目安は40年後とか50年後とか言われている。再び別の原発の事故が起これば、この国は存亡の危機となる。