俳句と将棋 <1>


 今日の朝日俳壇に掲載された金子兜太選の第一句は、次の句だった。

      東北や背に白刃の花の冷え
             (船橋市)斉木直哉

 一読して、わが背筋を冷えが走った。理屈ではなくずばりと冷たい感覚が身を貫く。背中に白刃を突きつけられたときの戦慄を想像する。桜の花が満開だ。ここ数日、花冷え。冷えはまず背中にやってくる。満開を迎えた桜は、すでに散る桜。花びらがひらひら、舞い散る。大地震と大津波は「東北」を切り裂いた。白刃一閃、命も暮らしも、家族も人生も、故郷も大地も、過去も未来も、悲哀も寂寥も茫々と果て無し。福島の原発事故による放射能は半永久的な人類の過誤。
 金太兜太(かねこ とうた 1919年9月23日 〜)は福島にも住んだ。この句の評にこう書く。

 「斉木氏。花のもと東北の人々の苦しみはつづく。それを思えば、背に感じる花冷え、白刃の如し。」

 もう一句、気を打つ句があった。

       桜蘂降る新鮮な老人ら
                (静岡市)西川裕通

 この句、大串章金子兜太の二人の選者が採っている。
 桜の花びらの散ったあとに、残る蘂(しべ)やガクが散る。地面はそのシベやガクで赤くなる。花が散ったあと、シベも散り、そして新緑が始まる。若い時代が散ってしまった老人たちにも現れる老いの新鮮さがある。シベ降る時を感じ取る人の新鮮さ。
 二句とも、すごい俳句だと思った。

 俳人長谷川櫂が、将棋の名人戦をすぐ横で観戦した。森内俊之名人と羽生善治三冠の七番勝負。第一局、持ち時間9時間。長谷川櫂名人戦に人生を観た。長谷川は将棋と俳句の共通性に「間」を挙げる。静寂、長い間があり、駒を置く。「将棋は沈黙の奥で駆け引きをし、俳句は言葉にしない部分で多くを表現する」と。
 長谷川櫂のこの時の句。

        幾万の木の芽しづかに駒動く
                    櫂

 この季節、幾万の木の芽が音もなく動いている。芽が伸び、芽が色を付け、音もなく世界は変っていく。
 長谷川櫂は対戦する二人の関係に同志の存在を観た。
 幾万、幾百万、幾千万、世界の木の芽は芽吹いているか。