「ネパールの碧い空」3

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 「菩提樹の陰で」という章があり、こんな文章がある。

 「山の人たちの目覚めは早い。朝の三時か四時ごろ、鶏が鳴き始める前に、『起きろ、起きろ』という声が聞こえてくる。水汲みは嫁さんの仕事、大きな甕(かめ)に水を汲んでくる。旦那は家畜の世話だ。

 彼らはよく歩く。歩くより方法がないからだが、歩くことそのものが楽しそうだ。ネパールではどの道でも、坂を上がった峠にはチョウタラという休み場所がある。この休み場所に来ると、荷物を下ろして、菩提樹の木陰に座る。菩提樹は神木で、霊が帰ってくるところだと年寄りは信じている。

 菩提樹の下で休むことを、ハワカネという。ハワは空気、カネは食べるという意味で、空気を食べる、すなわち一服することである。ポーターたちは、この木の下で休むたびに、口から出る言葉は、ミトハワ、うまい空気だった。

 峠にはかならず菩提樹が植えられていて、ひたすら歩いてきた人たちの救いの木になっている。お釈迦様が行脚の末、菩提樹の下で悟りを開いたのも、ミトハワを吸ってのことだった。

 ネパールの子どもは、五、六歳にもなれば、使い走りで山を越えたりする。男子十二、三歳にもなれば、ほとんどが諸国行脚の夢に燃えてくる。朝夕の散歩も、諸国行脚も、ネパールでは、グムネと言う。道連れの友達が見つかり、ひょいと草刈りに出たまま帰ってこなかったりする。母親は、『ああ、グムネに出かけた』と言って、二、三日はおろおろしているのだが、父親は、自分も若いころそうやっていろいろな見聞を広めたと言って、武者修行に出かけたくらいにしか思わない。

 日本では考えられないことだが、山の農家では男子は五、六歳で草刈りもし、女の子は薪割り、水汲み、ご飯炊きをする。山の子は、五、六歳になれば一人前の労働者であり、村に何か相談事があった場合、はなたれ小僧が大人たちと同列に並んで発言する。村の自治組織の会議の中で、子どもたちが堂々といろいろなことを発言し、大人もそれを黙って聞いている。『子どもは黙っておれ』とは決して言わない。子どもも大人も同一の発言権と投票力を持って、ちゃんと議決する。

 十二、三歳になって、グムネに出かけるのは、彼らにとって何でもないことなのである。

 彼らは山に囲まれて生活している。山をいくつも越えてインド国境になると、

 『おお、平野が見えた!』

 と言って飛び上がる。夢にも見た、広い世界なのだ。

 ただしかし、中には旅の途中で病気になって死んだり、山犬に襲われて命を落とした者も多い。コレラで死んでしまった少年もいた。」

 

 岩村氏が活動したころから十年ほど経ち、私はネパールの山岳地帯を歩いた。すでに始まっていた開発による環境破壊が深刻な状況を生んでいたのだった。