萩原朔太郎は、詠った。
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに
萩原朔太郎がこの詩を詠んだ時代、フランスへは船旅だった。シベリア鉄道でモスクワを経由して行くこともできた。どれほどの日数を要したことだろう。今ではフランスへは、空の旅で12時間ほどで行ける。
今、フランス、イギリス、ドイツ、ヨーロッパのすべての大地に新緑が吹き出ていることだろう。すべての人に歩く権利が守られている国々。菩提樹の茂る小川の道を、人々は歩いているだろうか。
五月の野の旅、山の旅。
したたる緑。
今朝、お父さんと幼い子どもが、前後になって、それぞれ自分の愛用の自転車で、野の道を走っていった。
何年前になるだろうか。まだ通勤電車の座席横の窓を開閉できたころの話。
車内に放送が流れた。
「みなさん、車内が蒸し暑くなっています。窓を開けて、緑の風を入れましょう。」
腰かけている乗客は、ガラス窓の両端のストッパーを開いて窓を開けた。
立っている乗客の顔がほっとゆるみ、緑の風を胸いっぱい吸った。
あの頃、味な車掌さんがいた。夜もおそい時間、仕事に疲れた乗客が室内にたくさんいた。その日、空に満月が輝いていた。一人の女性の乗客が、その月のあまりに美しいのを見て、車掌さんに伝えた。
「美しい月が窓から見えます。放送してくれませんか。」
車掌は了解し、放送を車内に流した。
「月が美しいです。みなさん、満月が空にかかっています。月を見ませんか。」
仕事に疲れた乗客は、窓から上空の月を見た。その瞬間、柔らかな感動が室内に流れ、疲れが溶け去るようだった。
昨夜は、満月に近い月だった。月明かりの中をランと歩いた。ランの影、ぼくの影が道に映っていた。
今朝は快晴。ジャーマンアイリス咲く。スズラン咲く。若宮稲荷で切り株に座り、ドイツ民謡とイタリア民謡の二曲を歌ってきた。