「ネパールの碧い空」4

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             安曇野烏川渓谷緑地

 

 1989年、アジア協会アジア友の会という団体を知った。その団体は、ネパールでの植林と盲学校の建設、井戸掘りなどの活動を行っていた。

 友の会はボランティアを募っていた。ネパールの森がどんどん消滅している。このままでは、ヒマラヤの国の森が滅び、大災害を引き起こす。植林ボランティアに参加しませんか。

 ぼくは「地球環境報告」という石弘之著の本を読んだ。衝撃的な事実が報告されていた。

 ――バングラディッシュでは、八七年八月初めからモンスーンの豪雨が降り続き、ガンジス川ブラマプトラ川が氾濫して、四十年ぶりという大洪水に見舞われた。国土の三分の一が水浸しになり、被災者二千万人、死者千四百人、さらに発生した飢餓と疫病によって六千人が死亡した。ヒマラヤの森林破壊と、それに伴う土壌侵食も深刻の度を増している。

 ヒマラヤ山麓では、見上げるような急斜面まで耕され、その畑がいたるところで崩れ落ち、土砂が深い谷底を埋めている。土砂は雨とともに谷を下り、ガンジス川の中を運ばれてくる。雨が少ないと田畑は干上がり、多いと水浸しになる。災害の頻度が急上昇している。ネパールでは、森という水甕、自然の保水機能がズタズタにされ、きわめて危険な状態にある。――

 あこがれのヒマラヤが危ない。よし、この植林活動に参加してみよう。アジア協会アジア友の会に参加を申し込んだ。

 ところがそのころ、インドとネパールの関係が悪化し、インドからネパールへの物資が途絶えて、車の燃料が欠乏している、したがって現地で車を動かすのが難しく、新たなメンバーの募集はしない、という連絡が入った。

 しかし自分の中では計画は動き出している。単独行でネパールへ行こう。そう決めて、タイのバンコクを経由してカトマンズに一人で入ったのだった。

 植林はできないが、現地の森の実体をこの目で確かめる、これが旅の目標になった。

カトマンズとポカラのヒマラヤの前山を歩いて森林を調べた。高木は尾根の上にのみ残っていたが、下枝は切られて無い。背丈ほどに生長した植樹された木々は、生長点の先端が切られていた。家畜のえさに村人に伐られ、また放牧の牛が食ったのだ。人家に近い山の斜面は、耕して天に至る、猛烈な高度差の棚田になっていた。

 山間部にはこれまで車の通る道路がなかったが、ポカラではアンナプルナに向かって伸びる長大な尾根に、中国の援助で自動車道路が造られていた。舗装はなし、風が吹くともうもうと土煙が上がる。

 山間部で出会う人から、「薬をください」とたのまれ、子どもたちからは「甘い飴玉がほしい」、「ヒマラヤ少年サッカークラブに寄付をください」とせがまれた。

 岩村さんの時から比べて、開発と自然破壊は急激に進み、新たな困難が生まれていたのだった。