「ネパールの碧い空」 2

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 ネパールで岩村夫妻が生活丸ごと、感染症との闘いに打ち込んだ活動は、医療活動にとどまらなかった。

 親が病気になると、その子の世話をどうするのかということになる。岩村夫婦は、ミイラのようにやせた赤んぼ、飢えた幼児の世話も引き受ける「おかあちゃんホーム」をつくった。赤ちゃんに水牛の乳を与え、児童に食事を用意し、てんてこまいの毎日となる。結核乳児も9人あずかった。

 「おしっこ、うんこ、お乳、おしめの洗濯と史子は忙しい毎日を送っていた。神様は私たちを救うためにこんなに我が家にあふれるほどの宝を用意してくれたのだ。」

 それは二人の献身だった。

 社会にはカーストが生きていて職業に就くうえで差別がある。貧富の格差は大きい。病気になり治療するには金が要る。借金し返せないから、貸主の使用人になり、奴隷のような存在になってしまう。

 政治は無策だった。政治は存在していないも同じだった。

 岩村は思う。

 「いったい私はどれだけのことをしただろう。やらねばならない仕事がまだたくさん残っている。生涯ここに生きるのだ。ここにいちばんしあわせな生活がある。私は、自然と融合して生きている人間が大好きになっていた。裸足で岩角を踏みながらの真実人生は旅であるという実感を、私はネパールの人たちからどれだけ深く刻みこまれたことか。」