「ネパールの碧い空」

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 三月に、カミュの小説「ペスト」を読もう、とブログに書いた。

 次は、「ネパールの碧い空」(著者・岩村昇)というドキュメンタリーを読もう。

 筆者の岩村昇氏は1927年生まれ、医師になり、1962年から1980年までの間、七期にわたってネパールの僻地で、日本キリスト教海外協力会の派遣医師として医療活動にたずさわった。「ネパールの碧い空」はその活動記録である。

 岩村昇は妻とともにネパールの奥地に入り、結核天然痘コレラチフス‥‥、数々の伝染病で医療を受けられずに命を落としていく極貧の農民のなかに入り込んで、命がけの治療を行った。ネパールの僻地には道路がない。感染症が発生したと情報が入ると、拠点病院にいる岩村医師は、荷物を担いて何十キロの山道を歩いて現地に行く。何日もその村で治療に当たる岩村は、農家の土間で疲れた体を横たえて夜を明かす。

 感染症の多発は、農村の衛生状態がきわめて悪いことが原因になっていた。トイレがない。みんな野外で用を足す。ハエが大発生する。

 「水は一時間かけて谷底まで汲みに行かねばならず、一人一日の飲料水、炊事、洗い物などの使用料は、わずか1リットル足らずである。ろくすっぽ手を洗わず、その手で調理して手づかみで食べる。」

 天然痘が発生すると、その村の人たちは村を捨てて逃げてしまう。また患者の家に火をつけて、患者も一緒に焼き殺してしまうようなこともあった。

 医療活動の傍ら、岩村医師は結核予防のための検診の普及とBCG接種の普及に全力を投入した。そして天然痘予防のための種痘を行う。

 岩村は、こんなエピソードを紹介した。

 「私がひじょうに胸を打たれたのは、人痘が行われていたことだった。一人の子どもが天然痘にかかったとき、そのウミを自分に植え、それをさらに隣近所の子どもに植えるというもので、これはまさにジェンナー以上でもあろう。山中で知ったいちばん素朴だったのは、隣の子どもが発病した際、そのウミを一度接種したことのある母親がもらってきて、自分の体に植える。そうすると、その部分だけがきれいに発病して、しかもあまり毒性がない。そのウミを今度は自分の子どもに植え付けるというやり方であった。こうした発見は、今後の辺境地における医療の在り方に大きな暗示を与えるものと私は考えている。医療も、行政機構と同じような、上から下へというやり方ではだめで、あくまでも下から上へと進んでいかねばだめなのだ。底辺に生きる人々が、自分で伝統的にどういう生命を守る生活の知恵を持っていたか、それをまず発掘し、その上に近代医学というものを築いていかねばならないということを、つくづく考えさせられる。」

 岩村医師のもう一つの活動はトイレを作ることだった。しかしそれは困難を極めた。その経過についても数ページに渡って記録されている。

 まさに地を這う活動を長年にわたって実践してきた記録は、人間としての生き方を考えるうえで、多くのことを教えてくれる。

 「ネパールの碧い空」は、特別アンデルセン賞を受賞している。