小学校の運動会



 地元の小学校から運動会の案内状が来たので行ってきた。朝から日差しがきつく、グランド周囲の何本かの立ち木のつくる日陰と張られたテントの中以外は、じりじりと暑い。
 小学一年生から六年生まで、全校児童を白組と赤組の二つに分けて勝負が繰り広げられた。親たち祖父母たちの多くは日差しをさえぎる建物の陰や樹木の陰に集まっている。何本かのありがたい樹はグランドの周りにまばらに植えられているもので、まだ広く枝を伸ばす大木にまで成長していない青年の樹だ。どの樹も根元の周りを子どもたちに踏み固められて、草一本生えていない。これだけ痛められれば、根は元気に生長できそうにない。農業用水路からの引き水が、コンクリート構造の小さな人工的な流れになって樹の近くを行く。子どもたちがちょっと水に触れることができるが、川とは言えないようなものだ。せっかく造るのだったら自然石を使った小川に近づければ子どもたちも喜ぶのにと思う。
 子どもたちの競技が始まり、乾いたトラックを子どもたちが走る。昔、いろはガルタの一種に、「あ」は「秋晴れ十月 運動会」というのがあった。運動会は十月と決まっていた。涼しくなる十月なら、子どもたちも家族も快適だった。それがどういうわけか九月の今だ。だから熱中症騒ぎが起こる。いろはガルタの「ね」を、「熱砂の九月 運動会」とでもするか。
 観覧途中で席をはずして、ぼくは近くの公園に退却した。自然と心身が欲求するところへ動いていったといったほうがいい。公園のなかにケヤキの大木が数本こんもり枝を広げていて、その横に臼井吉見記念館がある。民家の倉を模した平屋建てのこじんまりした建物だ。その建物の壁にもたれるように一台のベンチが置いてある。丸太づくりのベンチだ。そここそぼくの居場所だと、するすると近づいていって、記念館の中には入らずに、ベンチに座った。周りは木々に囲まれ、目の前を小川が流れている。この小川も自然の小川ではない。だが先ほどの小学校の校庭の川とは大いに違う。引いてきた水路の水は、公園の中に自然石を使って造られた小川になって流れ、水辺まで草や笹が生えている。川の底は砂地で、くるぶしまでの水の深さだから、幼児が三人、水に足をつけて遊んでいる。二人のお母さんは東屋に座っておしゃべりだ。記念館のベンチは格好の場所だった。涼風が吹き、波紋を描くせせらぎが目の前で蛇行し、心穏やかな緑陰の読書にもってこいだった。
 小学校の校庭のことを考えた。あそこは砂漠だ。学校という子どもの世界がどうしてああなんだろう。
 10年前、ぼくは中国の武漢大学で日本語を学生に教えていた。武漢は巨大な大都会だったが、大学のキャンパスは広大で、敷地のなかに山があり、森があった。大きな庭園があった。梅園、桜園、桂園、季節になると花が咲いた。森にはウサギが住み、無数の鳥がさえずっていた。山には散策路があった。森の中には石のベンチがあちこちにあり、そこに座って勉強している学生の姿は絶えることがない。キャンパスはさらに東湖という湖に接していた。森と湖の学校だった。自然の中に身をおいて、四季を感じながら学ぶ。これが学生たちの生活の場だった。
 日本の小学校、中学校は、いまだに森の学校からへだたっている。田舎の学校は、地域に山も森も川もあるから、学校はシンプルなものでよかった。しかし今、校舎、施設は立派でも、自然が消えてしまっている。子どもの生活実態から自然が消滅した。それにもかかわらず学校の中に森をつくる、小川をつくる、畑をつくる、という発想は二の次、三の次になっている。学校は教室で知識を教えるところ、というパターンから一歩も前へ進めず、学力テストで一喜一憂しては学力向上に神経を尖らす。だから運動場・校庭は砂漠化している。砂漠化は学校教育全体に広がる危険が迫っている。