マンツーマンで「こころ」を読む

M君は、杖をついてゆっくり歩いてきた。教室は2階だから、階段は一苦労だったろう。教室で待ち構えていたぼくは、
「今日は何をする?」
と声をかけたら、国語をする、という返事がかえってきた。
レポートは、夏目漱石の「こころ」。
「全文読んだかい?」
「読むことは読んだけれど‥‥」
教科書に載っているのは「こころ」の一部分だが、それでもかなりのページ数がある。自信のない返事だった。
長編小説の一部を教科書は取り上げて載せている。一応あらすじは紹介してあるが、本当に理解するためには原文を読まなければならない。しかし多くの生徒は全文を読むことはない。
M君は、学校までお父さんに車で送ってもらった。彼の体が、解明できていない病気にかかったのは、どうも中学時代のようだった。なんらかの酵素が身体に欠けており、それが原因で筋肉が衰えていくとかで、歩くのも、手の働きも、言語も、スムーズに動かない。筋萎縮症のようで、いまだ医師が研究中だという。
「運動している?」
「は い、 あ る い て い ま す」
「駅から学校まで、歩いてきたら?」
すると、彼は、
「信 号」
と言った。あ、そうか。青信号になって横断歩道を渡るにも時間がかかる。杖を突いて、ゆっくりゆっくり渡っている間に赤信号に変わってしまうのだ。それに歩道の段差がある。そこでひっくりかえってしまうこともある。
彼はぼくの隣に座った。「こころ」はよく理解できていなかった。もう一度読んでみるかい、と言うと、読み出した。素直な反応だ。ぼくはじっと待っていた。けれども文を追う彼の目は、一行にも時間がかかる。そこでぼくが朗読することにした。彼は朗読を聞きながら文章を目で追う。適当な段落を読んで、それからレポートの設問に移る。
教師が朗読することについて、高校生に対してそうするのは生徒を甘やかせているという意見もあった。前回、生活態度が荒れていて、全日制を退学して通信制にやってきたS君に、教材の小説を読むように指示したら、「だるい」という反応がきた。読む気にならない。それならそれで、とぼくは朗読してやった。すると彼の目はしっかり文章を追い出した。物語が彼を引き込んでいる。横向きの体が前を向き、立てていた右ひざが下りた。マンツーマンの指導で、朗読を聴くということには意味がある、文学に一歩でも入ることがあれば、それはよかったということになる。朗読してもらう生徒は甘えていると、否定することはない。
M君は、3時間がんばった。「こころ」のレポートをほぼやりきった。内容は、主人公の「私」が下宿している家でのできごと。そこは、母と娘の母子家庭で、そのお嬢さんに「私」は恋心を抱いている。そこへ友人のKが同宿し、彼もお嬢さんを恋するようになる。そこから二人の葛藤が始まる。そしてKの自殺へと発展していく。
M君のお父さんが迎えにきてくれる時間になり、今日の勉強は終わり。M君は笑顔を見せて元気に帰っていった。
「M君、体の動きがスムーズになっているね、歩こうね」
M君は振り返って、うれしそうだった。