一昨日、昨日、今日

 今朝、子どもたちの通学路になっている野の道を行くと、道端に立てられた太陽光発電の外灯のうえに、タカが一羽とまっていた。すぐ横をランを連れて通り過ぎたが、タカは動かず、平然としてあたりを眺めていた。ノスリ? タカの一種が頭に浮かんだ。が、ほんとのことは分からない。しばらくしてタカは飛びたち、低空飛行をして向こうの立ち樹にとまった。遠くの上空を、サギが一羽ゆったりはばたいて飛んでいる。孤独なサギだな。
 ここ数日、おなかの辺りがどんよりする。ストレスだが、その原因は分かっている。自分の今やっている非常勤講師の勤務に関することだ。ぼくの問題提起がどのような結果をもたらすか、小さくて大きな問題だと自分では思い、それがいささか気になっている。一つの解決策の方向はあるのだが、潜在意識ではこの問題を重くとらえ、それがストレスになっているようだ。ストレスはよくないなあ、と思うが、そうなってしまっている。ストレスをすっきりなくしたいなと思いながら自転車のペダルをこいでいくと、頭のなかに歌が湧いてきた。声を出して歌えばストレスを発散できるかもしれない。頭に浮かんだのは、先日「校歌を歌う会」で歌った歌だった。誰もいない田園の真ん中、自転車を走らせながら声をはりあげて歌う。目の前に有明山がそびえている。
 ――西に立つ有明山や/裾めぐる中房川と/松原と稔る稲田と/よく人の働く里に/我らみな生命を受けて/ここにありこの学び舎に/
 ――名にし負う穂高の里は/安曇野のはじめの里ぞ/この里の生命を受けて/われら今ここに集えり/穂高なるこの学び舎の/栄えこそわれらの誓い/
 ひとりでにこの歌が心に湧いたということは、この歌の力なのかもしれない。

 今日は新聞紙やダンボールなどの古紙を出す日で、散歩から帰り、午前7時、自転車に古紙を積んで集積場へもっていった。カモが二羽、せわしく羽ばたいて飛んでいく。つがいの二羽か。
 昨日、兄が退院した。ぼくが我が家の「野の学舎」の工房で、ベトナム人のツァントゥンに日本語を教えていた時、兄から電話があり、洋子が受けた。病気の原因が肺炎球菌だったと言ったそうで、やっと病原菌が分かったようだ。ほんとにまあ無事に生還できてよかった。乾杯、乾杯。
 ツァントゥンに日本語を教えるのは、能力試験の3級を取得したい、聴解が苦手だから、できるだけ日本語の会話の機会を増やしたいという彼の希望を聞いたからでもある。彼は言う。仕事中は日本語を話すことがない、仕事を済ませた後も、日本人と接触する機会がほとんどない、と。だから、彼はこんなアイデアをぼくに言った。
 「コンビニで、私てつだう、きゅうりょういらない、おきゃくさんと、会話する」
 自分の仕事が終わってから、コンビニで無給でいいから働かせてもらって、お客さんと会話したい、というのだ。実際にコンビニが受け入れてくれるかどうかわからない。
 そんなことを言っていたのだが、それから一週間ほどして、
「わたし、せんせいの はたけ てつだう。そして会話する。せんせいは ひざ いたい」
 とメールが来た。そして昨日ツァントゥンは3時半ごろやってきた。こんなに早く仕事が終わるのは珍しい。気温が暖かかったから、工房のなかも温かかった。6時ごろ、勉強が終わった。すると彼はぼくの脚をもう一つの椅子に伸ばさせて、マッサージをやってくれた。
「せんせい、グルコサミン のんでる?」
「うん、飲んでるよ」
 彼は、腰やひざの痛いお父さんにも、グルコサミンを薬局で買って送っている。この前、父母にお菓子も送った。ベトナムまで送料2000円だった。そしたら、そんな高い金出して送らなくてもよい、と叱られたそうだ。
「へえ―、2000円、お菓子代より高い」
 ぼくがそう言うと、
「いちねんに、いちどです」
 そして言った。
「あした、せんせいの はたけ、てつだう。はたけしながら 会話する」
「じゃあ、鶏糞をまいて、スコップで土起こししようか」
「あした、3時ごろ くるね」
 かくして今日の午後、彼はやってきた。長靴にはきかえた彼はスコップをにぎってハコベやイヌフグリの生えている畝を起こしていく。ぼくのスピードの3倍のスピードで。
「私のむね…どうです」
 彼は自分の胸をぼくにたたかせた。なるほど筋肉隆々だ。ひっきりなしに会話を交わし、日本語の勉強をしながら1時間ほど作業をした。
 それから工房に入って、準備しておいた本を読みながら勉強する。本の名は「イワンのバカ」、トルストイの作品である。