齋藤慶輔と上橋菜穂子

 北海道で野生動物専門の獣医師をしている齋藤慶輔と、オーストラリアの先住民アボリジニを研究し、『精霊の守り人』で国際アンデルセン賞を受けた作家、上橋菜穂子との対談は、野生生物と人類の行く末を暗示していて、衝撃的だった。
 北海道では、オジロワシイヌワシシマフクロウなど、大型猛禽類が次々と死んでいる。いずれも死因に人間がかかわっていて、オジロワシイヌワシシマフクロウは絶滅の恐れがあるという。死因のひとつが鉛中毒、鉛の入った猟銃弾で撃たれて死んだシカの肉を食べたイヌワシが今もなお死んでいく。もうひとつの死因が感電死。電柱に止まったオジロワシの、開けば2メートルにも及ぶ翼が2本の電線に触れて感電する。紹介された死因の三つ目は、自動車による轢死。夜中に道路を横断するカエルをねらって舞い降りたシマフクロウが、やってきた車のライトに目をくらまされ轢かれる。齋藤慶輔のもとに持ち込まれる重症を負った鳥たち、命を落とした鳥たちの累々と横たわる映像が、あまりにも痛ましかった。最近は、自然エネルギーの開発で建設されていく風力発電の、ぐるぐる回る風車の羽で切り裂かれる猛禽類が増えているという。
 対談は、上橋菜穂子の思想と作品の世界にはいっていき、「この人間の文明とは何か」になっていった。

 強風をついて、自転車で図書館へ行ってきた。往復1時間、南からの強風をいかに少なくするか、複雑にはりめぐらされた道を折れ曲がり折れ曲がり、選んでいく。集落に入れば、風は減退する。茫々たる野道は、風上に向かうとペダルがこげず、自転車を降りて前かがみになって歩く。歩けば目に入るものも違ってくる。民家の庭に、この地方では珍しく、沈丁花が咲いていた。
 歩きながら、ふと思った。
 どこからもこのことは話題にならないが、北海道から九州までつながり、大きく報道された北海道新幹線の陰で、ニュースにならない「消えている小さな命」がたぶんあるはずだ。時速数百キロで走る列車にぶつかって命を落とす野鳥がいるのではないか。ぶつかって線路わきに落ちて死んでいる小鳥たちがいるのではないか。調査も研究もなされていないだろう。スピード、格好よさ、称賛される新幹線。日本人よ、そんなに急いでどこへ行く。そこへリニア新幹線が参入する。電力需要はますます大きくなる。そのために原発が必要なのだと、この日本社会の日本文明。

 対向車がぎりぎりで通り抜ける狭い道が多い。信州の多くの道には歩道はない。ぼくはランを連れて行く。今日も体の横、1メートルぐらいのところを速度を落とさず車が走り去った。身の危険を感じる。そのうちはねられるかもしれない。この影のような恐怖感は、歩かない者には分からない。
 狭い道に歩行者や自転車に乗った人がいても徐行しない車の割合は9割以上だ。ぼくの危機意識は年々防御的になってきた。スピードをゆるめないで走ってくるのを見ると道端に寄って、ドライバーの顔を直視する。
「そのスピード、あぶないではないか」
 思わず叫ぶことがある。
 昨年の長野県内の交通事故状況は、発生件数8,867件、事故死者数69人、負傷者数10,954人。去年までの12年間では173,106人の死傷者だ。17万3千百6人だよ。どえらい人数だと思わないか。スピードが当たり前になって、危険を感じなくなった現代人。今年になってからも小学生、中学生が跳ねられて死んでいる。
 歩行者感覚とドライバー感覚はまったく異なる。車に乗るとドライバー感覚になり、歩行者は道路ぎわによけろという専横的意識になる。歩行者や自転車は邪魔な存在にしか見えなくなる。「どけ、どけ、車が優先だ」と。
 風が圃場整備をしている工事現場の土を空高く舞いあげる。耳元を風がごうごうと吹きすぎて行く。背後から来る車のエンジン音は聞こえない。近接していきなり警笛を鳴らされて飛びのく。
 車社会になって、足を地につけてテクテク歩いていく人間の文化が衰退し、人間の感覚も価値観も変わった。この文明の危機を人びとは感じなくなった。
 上橋菜穂子の本を読もう。