虫、微生物のおかげで生きている



 ユスリカが数十匹かたまって飛んでいる。飛んでいると言っても移動する飛行ではない。同じところを集団で上下している。数日前まで夜は氷点下の寒さだったのに、いつのまにか現れて集団の舞踊をくりひろげる。この小さな生命の不思議。ユスリカは蚊とよく似た姿だが、大きさは蚊よりやや小さく、刺すことはない。川や池の近くで蚊柱をつくる。幼虫は川や水路の水中の有機物を消費し、川や池などの水質を改善もしているというから、虫と聞けば殺虫剤をふりまく「文明人」は気をつけねばならない。

 昨日と今日の「天声人語」がおもしろい。
 まず昨日。
 
 <ウィアー著『火星の人』は、死の星に一人残された宇宙飛行士が、どうやって生き延びるかを描くSF小説だ。「オデッセイ」の名で公開中の映画にも出てくる場面だが、序盤で印象的なのが土づくりである。この地で初めてジャガイモを育てるための、そこだけ空気がある居住施設に火星の「死んだ土」を敷き詰め、実験用に持参した地球の土を少しだけふりかける。生きた土に暮らす微生物たちが、作物には必要なのだ。彼は呼びかける。「バクテリアよ、仕事の時間だ。期待してるからな」(小野田和子訳)。
 微生物の存在を実感するニュースが増えた。エボラ出血熱など新手のウイルスが人間を脅かす。ノーベル医学生理学賞を受けた大村智さんの仕事も、微生物の働きがもとにある。この小さな生き物を意識すると、世界はずいぶん違って見えるようだ。別府輝彦・東大名誉教授の近著『見えない巨人―微生物』に学ぶと、草食動物の牛は「微生物食」とも言えそうだ。胃の中で草を分解する菌をそのまま消化し、たんぱく質を得ている。降雨や降雪ですら、空中の細菌に左右されているというから驚く。気象の安定のためには彼らのことも気にした方がいいのかと、考えてしまう。心強いことに、観察技術の進歩で微生物はどんどん「見える」ようになっているという。
 急ごしらえの火星の「畑」はいかにも弱々しい。では地球の生態系はどこまでもろく、どこまで強いのか。見えてきた微生物から教わることがありそうだ。>(3月6日)

 そして今日。

 <春告鳥(はるつげどり)がウグイスなら、春告虫はさて何だろう。思いめぐらせばモンシロチョウが頭に浮かぶ。菜の花畑をはずむように飛ぶ姿は、旧仮名で表す「てふてふ」の語感がよく似合う。冬ごもりの虫が這(は)い出す二十四節気啓蟄(けいちつ)を過ぎて、さらに分けた七十二候では「菜虫化蝶(なむしちょうとけす)」も近い。すなわち青虫が羽化する頃。手元の本にある「モンシロチョウの出現前線」に照らせば、今頃は九州や四国の南部あたりらしい。春風にのって北上の途についたばかりのようだ。
 チョウに限らず、春には様々な小さきものがお出ましになる。それら昆虫などが花粉を運ぶことで市場にもたらす価値は、世界で年間に最大66兆円にのぼると、国連の科学者組織が先ごろ発表した。媒介するのはハチをはじめチョウ、カブトムシなどの昆虫、それに鳥、コウモリなどという。別の推計では、日本国内でも昆虫が農業にもたらす利益は年間約4700億円になるそうだ。恩恵を知れば虫けらなどとは蔑(さげす)めない。
 昨日に続いて生物の話になるが、この星の生きものは確認されているだけで約175万種にのぼっている。知られざる種を含めればはるかに膨大だ。それぞれが人知を超えて結びつき、作用し合って、豊かな生態系を作っている。生物多様性とは、いわば地球上の「命のにぎわい」のこと。ところが今や、日々100種ほどが消滅しているとも言われる。人類の君臨によるところが大きいらしい。命ひしめく春のありがたさを、春の一日に考えてみたい。>(3月7日)

 ミツバチがいなくなれば、人類は滅ぶと言ったのは、アインシュタインだったけ?
 ミツバチだけではない。虫、微生物が滅びれば、生命のバランスは崩れ、人類は生きていけない。それにもかかわらず、危機感の持てない者たちは地球上に蔓延して、己の利益しか見ず、小形動物から大型動物まで種を滅ぼし、植物相を破壊してとどまるところを知らず。