吉野せいと石牟礼道子 <3>

 石牟礼道子の文章の魅力にはまったのは『苦海浄土  わが水俣病』を読んだときだった。1970年ごろだった。「水俣病を告発する会」の活動が盛んになり、ぼくもそこに参加するようになった。
 国と大企業チッソは結託して水俣病を引き起こし、無辜の民の命を奪い、なおそのうえに犯した罪を隠ぺいして企業を守り抜こうとしていた。石牟礼道子は、水俣病とそれに対する闘いの歴史を詳細に記録し、患者に寄り添い、患者の語りを記録した。石牟礼道子の文学は、告発と鎮魂と祈りの文学だった。
 作品の「天の魚」と「神々の村・葦舟」の章を読んだとき、石牟礼の文章の力に引きつけられ、これを教材にできないかと思った。その当時、ぼくは大阪の最も先進的な部落解放運動を行なっていた被差別部落の中学に勤務して、人間や社会を見つめ、差別のない社会をつくろうと、教材の自主編成を仲間と共にとりくんでいた。
 『苦海浄土』を教材にしたいと思ったところは、水俣病患者からの聞き書きの部分だった。不知火の漁民の方言の語りは、ことのほか美しく、言葉が力をはらんでいた。この文章を声に出して読みたい、生徒たちに朗読させたいと思った。生きている日本語の力を朗読で感じとらさせたいと思った。そうして一つの自主教材をつくった。

 文章は、胎児性水俣病の子どもを描いていた。杢太郎は九歳の少年だった。だが母のお腹の中での水銀中毒によって、重度の障害をもって生まれた。
 孫の杢太郎と爺の語り。
 

 <杢よい、おまやこの世に母さんちゅうもんを持たんとぞ。かか女の写真な神棚にあげたろが。あそこば拝め。あの石ば拝め。
 杢よい、爺やんば、かんにんしてくれい。五体のかなわぬ体にちなって生まれてきたおまいば残して、爺やんな、まだまだわれひとり、極楽にゆく気はせんとじゃ。
 杢よい、おまや耳と魂は人一倍にほげとる人間に生まれてきたくせ、なんでひとくちもわが胸のうちを、爺やんに語ることがでけんかい。>


 杢太郎は爺のあぐらのなかにいた。爺のあぐらの舟に乗り、杢太郎は爺の寝物語を聞く。杢太郎をゆすりながら爺は語る。


  <ゆこうかい、のう杢よい
  御所の浦までや
  桶(ひ)の島までや
  ん、ん、
  婆さまが島までや
  ん、ゆこうかい、ん
  エンジンばかけて
  ゆこうかい
  漕いでゆこうかい
  帆かけてゆこうかい
  うん、杢
  帆かけてや、うん、
  こんやは、十三夜じゃけん
  帆かけて ゆくか>


 爺さまは舟になって、こっくりしながら帆柱をあげる。白く濁ってもうろうとしてきた目で、いつもあけっぱなしの、縁板のない縁側にむかい、杢を乗せて舟はいざる。舟は揺れる。
 爺さまはふらりと目覚めては、呑み忘れていた焼酎を、一息に呑もうとして、飲みこぼす。


 <爺やんが家の天草の村では、昔は、お米にさらに、“さま”をつけて、お米とさまといいよったもんぞ。よかか、杢。
 人間はお米さまと、魚どもと、草々に、いのちをやしなわれて、人間になるものぞ。そのお米さまを、天草では、天下百姓の衆がどのように、艱難辛苦してつくりよったものか。
 爺やんが小まかときは、お米のひとつぶでも、井戸の端にこぼしたり、飯食うはたにこぼし落せば、百姓の辛苦をば拝みなおせ、ちゅうて、かかさまの割れ木で、地べたをたたいておごりよらいたもんじゃ。>


 爺やんは、杢太郎が13歳のときに死んだ。杢がリハビリ病院に入っているときに死んだ。かなりの間、杢に爺さまの死は知らされなかった。


<三七日が過ぎた日、婆さまが重箱に精進物の煮しめ落雁を入れ、面会にやってきた。
 杢は、転げ寄って、婆さまを見上げ、目つきでたずねる。
 『爺やんな?』
 婆さまは、なんども人形の首のように、かくん、かくんとうなずき、はっきりと教える。
 『ほら、杢、こうしてみろ、ほら、両手ば貸してみろ。ほんにおまいも、骨ばっかりの掌になって、当たり前に、拝みもでけんかい。ほら、こうして合わせて拝め。
 爺やんな、ねえ杢、おまいが爺やんな、仏さまにならいたぞ。まんまんさまにならいた。』
 彼女は、外側にわん曲している孫の手首を、いずれが細いともわからぬわが掌に持ちそえて振ってみたが、『おまいが、この手の』と言ったまま、ほんのしばらく、噛み絞るような声を洩らして哭いた。
 『合わせてみろ、杢よい。合わさるはずがなかねえ。外側に曲がっとるもね。おまいがこういう指しとるけん、爺やんの魂の名残惜しさにして、まだ、ゆくところにも、ゆきつかずにおるわい。毎晩、婆やんが夢見も悪かぞい』
 孫にはそのことはすぐに理解された。けっして合わさらぬ両の掌で拝みつけている孫には。
 耐えられないことを、耐えさせられる生きものの眸(め)になって、少年はなにかを呑み下す。そして、やはりしゃべれない。彼の眸の色を読みとっていた巨(おお)きなひとつの世界が、彼の前から消え果てる。彼をつつみこんでいた爺さまという肉づきのあった世界が消える。見かわしていた相手が。彼はふるえながら沈みこむ。自分自身の眸のいろの奥へ。>


 冷酷な事実を受け入れている爺さま、婆さま、杢太郎の哀しみを描くこの石牟礼道子の文章のなんという力強さ、そしてなんという美しさ。その冷酷な事実は、国家と大資本によって滅ぼされていった、明治の足尾銅山鉱毒被害による渡良瀬川沿岸の農民からえんえんと続き、水俣病の悲惨をへて福島の原子力発電事故被害へとつながっている。