吉野せいと石牟礼道子 <2>


 戦時中、
 「課税よりも酷な食糧供出を完納し、昼間働いて、夜は警防団の一員となって村道を歩きながらも、奇跡を信じられない者にはほとんど無策な戦争にしゃにむにかきたてられながら、地辺をはう者たちの、乾ききった固い結合の足場から予想される廃残の土をかむって、まっさきに起ちあがる者は農民だ。」
 と、貧乏百姓の真実を、せいはつづった。
 吉野せいは晩年、「老いて」という作品を残した。1973年(昭和48)、74歳だった。
 「私も老いた。耳をすませば、周囲の力なく崩れゆく老人たちの足音につづいて、歩調がゆるんでよろめいてゆくのが日に日に分かる。どう胸を張ってもこの事実は否み切れない。抗えない生物の自然というしかあるまい。……」
 そして、彼女は、衰えていく自分の力に比例して、「使い古しの油かすのような労苦、貧困、焦燥、憎悪、汚れた生活」を重ねて紅蓮の火に焼いたような苦悩が遠ざかっていくのを感じる。それはとてもうれしいことだと思う。
 そのときに夫・混沌の一片の詩を見つけるのだ。
 「偶然眼にした、老いさらばえたころの混沌の一つの詩を、全身蒼白の思いで私は読んだ。」
 「全身蒼白の思いで私は読んだ」という表現を読んだとき、ぼくの中にも蒼白の感情が湧いた。


   ぜつぼうのうたを そらにあげた
   そんなあさっぱらから なげくな
   なげけばむすこはほうろく(失うの意)
   ……
   くどくな ばあさん なげくな
   それさえなければ なにをくい なまみそでいきてもいい
   いっせんでも むすこのしゅうにゅうになるなら
   クサをとるというボクを ボクをみていよ
   じゆうは それぞれにあるとしても 
   そうすることはどういうものか
   ふこうは みんなのあたまのうえに おりてくる
   

   なげくな たかぶるな ふそくがたりするな
   じぶんをうらぎるのではないにしても
   それを うったえるな


   ばあさんよ どこへゆく
   そこは みんなで ばらばらになるのみだ
   つつしんでくれ
   はたらいているあいだ いかるな たかぶるな
   いまに よいときがくる
   そのときにいきろ


 「生涯憤ることをつつしんだデクノボウのような彼の詩を、いいおりに私は読んだものだ。」
 とせいは、繰り返してきたくりごとの唇を縫いつけるようにして、心の中の小さな灯だけは消さないようにしようと、
 「歩き続けた昨日までの道を、前方なんぞ気にせずに、おかしな姿でもいい。よろけた足どりでもかまわない。自由な野分の風のように、胸だけは悠々としておびえずに歩けるところまで歩いてゆきたい。」
と心に誓う。
 それは、太古の昔から、女がつないできた命の道だと「私は百姓女」、せいは述懐するのだ。