昆虫少年は生き続けるか



 
これがその、庭に生えてきたキノコ、エリンギ。菌床の中から出てきて、生育条件がぴったし合ったのだろう。



部屋の中をふらふらとはっていくものがいる。
ゲジ君。
ゲジゲジのように嫌われる、というが、
ゲジゲジは、ゴキブリを捕まえて食べてくれる虫だ。
ゲジが正式名称。
おい、そっちは台所だよ。
紙袋をゲジの前に置いて、中に入り込んだところで、外へもっていって逃がしてやった。


室内に入り込んだアブとかハチとかは、明るい外の日差しへ出ようとして窓ガラスに頭をつけてブンブン騒いでいる。
外へ出られるように、隣の窓を開けてやっても、今ぶつかっているガラス窓から位置を変えない。
そこばかりで大騒ぎしないで、横を見てみろ、隣が空いてるやないか。
頭が悪いねえ。
紙で誘導してやったらやっと出た。


庭の畑に入れるために製材所の木材置き場からもらってきた木のチップのなかに、カブトムシの幼虫が6匹いた。
見れば見るほど、でっかく偉大だ。
孫のセイちゃんが帰ってきたら、成虫になって出てくるといいな。
この4年で3メートルを超える高さに伸びているヤマボウシの根方のチップに、幼虫を潜ませた。
カブトムシの秘密基地、
無事に成虫になれよ。


昆虫少年だった田嶋一夫君は、今どうしているだろう。
彼の人生も半世紀を過ぎた‥‥。
登山部員だった彼、僕は彼らを率いて山に登っていた。
山道を登っていくと、ハンミョウがいる。
飛んできて道の上にぽっと降りる。
「おっ、ハンミョウ」
一夫の眼はいち速くハンミョウをとらえる。
緑色の頭、黒紫色のはねに白い斑点、赤い帯。
ザックを背負った一行が近づくと、飛んで逃げて、数メートル先にまたぽんと降りる。
近づくとまた飛んで行って十メートルほど向こうに降りる。
「ミチシルベ!」
一夫が言う。そうだった、少年時代のぼくの記憶がつーっと立ち上がってきて、なつかしさが湧く。
ハンミョウの別名はミチシルベ、道を案内してくれるからと、一夫が説明する。
ミチオシエとも言うよ。
彼は昆虫の中でも甲虫が好きで、キャンプするとまず甲虫を探していた。
知らない甲虫を見つけて彼に質問すると、ほぼその虫のことは教えてくれた。


ぼくの下の息子が小学生の時のこと。
明かりのところへ飛んできてテーブルの上に落ちて裏返った2センチほどの甲虫がいた。
「コメツキや」
息子が言った。
「へえ、コメツキ、おもしろい名前やな」
虫は落ちたところでじっと動かない。
しばらく見ていると、パチーン、虫はテーブルの上へ2、30センチ跳び上がって、また落ちた。
仰向けにすると、自ら跳ねて元に戻る能力がある。
米をつく動作に似ていることからこの名前がある。
コメツキムシは天敵に見つかると足をすくめて死んだふりをする。
仰向けになると体を曲げ、十数秒たつと、体を地面にたたきつけて跳びはね、腹を下にする。
パチンという音と跳躍、これにはびっくりする。


息子が小学3年生ごろだったと思う。
夏休み、午前3時か4時ごろ、寝ていた息子はひとりで起きて、出かけていった。
カブトムシとりだった。
家を出ると、まっしぐらに薄明の丘の道をひとり走っていく息子の映像が、頭の中に残っている。
家を出て行く子どもの姿を実際にその時に確認したから残っている映像だろうか。
少年の世界のロマン、
大人も子ども時代に心に抱いていたロマン、
ロマンにもとづく自発的な少年の行動。
それはエネルギッシュに輝いている。
親になって子育てするとき、親は我が子のロマンに触れる。
そのとき自分の中の少年性もまたよみがえるのだ。


縁側の床下や軒下にアリジゴクがあり、
アリがすりばち状の地獄に落ちてウスバカゲロウの幼虫に捕らえられるのを見た時の感動。
お茶の木の根方に、土に穴を開けて巣を作っているジグモの巣を引っ張り出して、
中のジグモをとらえ、兄のジグモとぼくのジグモを闘わせて遊んだ興奮。
狩人蜂が足長グモをとらえて、地面を引っぱっていく。
あの大きなクモがやられてしまった。
どこまで運んでいくのだろう、と後に付いていった好奇心。


少年の日のロマンは、夏の朝の空気や日の光や、空や風や木々のそよぎをともなって、
記憶の深いところにしまわれている。
その大人の記憶は、子どもたちのロマンに触れて、よみがえる。
こうして代々、記憶は継承されてきた。
だが、
ロマンの継承は、断絶寸前にあるのかもしれない。
昆虫少年は生き残るだろうか。
少年の冒険は、続くだろうか。