愛称は憧れを乗せて





犬のシロちゃんちの前を、ランを連れて歩いていた。
見るとガレージに入れてある型の古い車は「セドリック」だ。
なつかしい名前だな。
日本の車の名前はカタカナ横文字が普通になっている。
以前我が家は、「スターレット」につづいて「カローラ」を使っていた。
今は「ラウム」に乗っている。
かっこよくて、車を引き立てる名前を車会社は考えて付ける。
「ブルーバード」という車があった。
これを「青い鳥」とネーミングしなかった。
さっそうとした感じは「ブルーバード」ということになる。
ドミンゴ」という名前もあった。
歌手の名前じゃね。


ここで頭が回転した。
車は欧米系の語感なのに、
列車の愛称は、ほとんど元来の日本語だ。
この五年間よく使うのは、長野・名古屋間の特急「しなの号」。
東京の息子たち家族が乗ってくるのは、特急「あずさ」。
孫のセイちゃんは、言葉を話し始めてすぐに、「あずさ」の名前をおぼえた。
それから鉄道マニアになりつつある。


昔、大阪から北アルプスに入る時、富山行きなら「立山」に「雷鳥」、長野行きなら「ちくま」によく乗った。
修学旅行の生徒が乗った東京行きは、「きぼう号」だった。
南紀行きの特急は「くろしお」、
大阪から青森行きの寝台特急は「白鳥」、
東京から青森行きは「北斗」、
東京から九州へは「あさかぜ」、
伊豆への列車は「踊り子」。


車は欧米系のネーミングで、列車は和名、
大きくて重量感の強い列車には、和名が似合う。
さっそうと軽やかな車は、欧米語感が似合う。


共通するのは、
憧憬、すなわちあこがれなのだ。
旅のあこがれを乗せて走る列車、愛称も心を乗せて走る。
運転しながら自由な大地を疾駆する車、愛称も心を乗せて走る。
憧れは希望に通じる。


大阪の中学校が、東京や富士方面への修学旅行から地方への独自旅行に転じ始め、
その学校数が増えて、信州方面へも一列車仕立てるようになったとき、
その列車には愛称がついていなかった。
長々と連結した列車の中には、数校の生徒が乗り合わせる。
1971年、長野の奥の戸隠高原へ出かけた修学旅行は、高原の森のロッジにクラスごとに分散して泊まった。
初夏の高原には、カッコウが鳴いていた。
子どもたちが初めて聴くカッコウの声。
白樺林の梢から聞えてくる。
霧の中から聞えてくる。


カッコウ、今年聞いた初鳴きは、5月4日だった。
それから毎日安曇野でもカッコウが鳴いている。
ホトトギスの初鳴きは、それから2週間後だった。
ホトトギスは、一回聞いただけで、 その後はとんと声なし。