枕草子「五月ばかり山里に歩く」



ライラックの花が咲き出した。



千年前や二千年前の人々の生活を想像するとき、はるかに遠い過去のように思えるけれど、
今は百歳生きる人は珍しくなく、百歳十人が並べば千年になるのだから、
千年前という昔は、ついこの前のような気もする。
それでも、その時代の人たちは、どんな気持ちで、どんな感性をもって生きていたのだろうかと、想像の翼を広げるのはおもしろい。
昔の人たちは、現代人と変わらぬ感性や心を持ち、あるいはそれよりもすぐれた感性や心をもって生きていたであろうことは、その時代の古典からうかがうことができる。
枕草子」に「星はすばる。」という文がある。
「星はすばる。彦星。みやう星(明星)。夕づつ。よばひ星をだになからましかば、まして。」
現代文にすると、
「星は昴(すばる)がいい。彦星(もいい)。明けの明星、宵の明星(もいい)。流れ星は尾さえなければ、もっといいのに。」
「昴」は中国名。「すばる」は、「一つにまとまる」という意味の「統ばる(すばる)」。
この星は、冬の星座のプレアデス星団で、肉眼では6個の星が見える。
だから「むつら星」と呼ばれることもある。
ちなみに「三つ星」は、オリオン座の大きな四辺形の真ん中に三つ並んだ星。「七つ星」は北斗七星。
「すばる」を探すときは、オリオンを見つけてから眼を移していく。
谷村新司の代表曲の「昴」は、中国でも大ヒットした。
ところで不思議に思うのは、冬の夜空を見上げても、見つけるのがなかなか難しいほど光の弱い六つの星を、
「星はすばる」と、どうして言えるのか。どうしてそう感じるのか。
彦星(牽牛星)や、明けの明星・宵の明星(金星)は、一等星か二等星か、よく見える大きな星だが、「すばる」はそうではない。
20年前、その答を自分なりにこう考えた。
「昔の人たちは、きっと視力がすごかったのだろう。それに空気が現代よりも澄んでいて、星がよく見えたのだろう。」
そして今は、「わが視力、老眼が進んできたために、『すばる』が見えなくなったのだろう」、という理由が付け加わった。
若かったころ、ぼくは視力が自慢だった。
視力測定では2.0だったが、自分ではそれ以上の、ブッシュマンの視力だと吹聴していた。
アルプスに登ったときは、麓から頂上を歩いている人を見つけ、
奈良盆地の西の信貴山から東の天理の山を走っている車を見つけた。
その視力が、老眼と弱い白内障でがたんと落ちてしまった。
「すばる」が見つけにくくなったのは自分の視力の低下のせいが大きい。
それにしても、それにしても、あのか弱い光の「すばる」、それを愛でる感性を平安時代の人がもっていたということに不思議な感動を覚える。


枕草子」に、「五月ばかり山里に歩く」という文章がある。
意訳すると、こういう内容である。


「五月のころ、山里を歩くのはたいへん趣があるものだ。
沢の水もなるほどと思えるほど、ただただ真っ青に澄みわたり、
水の表面は静かに草が生い茂っており、水は長々と連なって流れている。
そこをまっすぐ行く。
上から見ると、水が流れているようには見えない。
その水は深くはなく、人が歩くにつれて、水しぶきを上げる。
なんとも趣があるものだ。」


枕草子」には、323のエッセイが収められており、それは実に豊かな感性の宝庫である。