徒然草、寛容を説く一文




ちょうど700年前、兼好の書いた「徒然草」は、すぐれた人生哲学を語っている。
中学高校の教科書には徒然草のいくつかの段(小文)が載っているが、
それ以上の段を読む人はあまりいない。
徒然草には、人間の生活や生き方、自然・社会について書いた、興味津々の文章がたくさんあり、
しかし教科書に掲載される文章は、無難なものが多い。
このほうがいいと思えるものは発掘して教材にすることだ。


「万の事は頼むべからず。愚かなる人は、深くものを頼むゆゑに、恨み怒る事あり。」
で始まる第二百十一段は、現代語ではこういうことである。


「どんなことでも頼み(頼り)にすることはできないものだ。
愚かな人は、深くものを頼みにするから、人を恨んだり怒ったりする。
権力を持っているからといって頼みには出来ない。強いものがまっ先に滅ぶ。
財産が多いからといって頼みには出来ない。時とともにすぐにそれを失う。
学識や技量があるといっても、頼みにはならない。孔子でも不遇であった。
徳があっても頼みには出来ない。顔回孔子の10高弟の首位)でも不幸だった。
主君の寵愛があるからといって、頼りにならない。
たちまち罪を負うて、殺されることがあるからだ。
自分に従う者があるからといって頼みにはならない。
家来はいつか自分にそむいて、逃げることがある。
人の厚意も頼みにはならない。必ず変わるからだ。
約束も頼みにはならない。うそをつかず、うらぎらないということは少ないからだ。
 我が身も人も、頼みにしなければ、うまくいったときは喜び、そうでないときは人を恨むということがない。
人間の心の、左右が広ければ、さしさわりになることがない。
前後が大きければ余裕がある。  
心が狭い時は、つぶれてくだけてしまう。
心配りが少なく、厳しいだけでは、なにかと物事に逆らい、争って傷つく。
寛容で柔軟なときは、一本の毛も損することがない。
 人は天地の間で、もっとも霊なるものである。(万物の霊長)
天地は限定できるものではない、無限である。
人間の本性は、この天地の本姓と異ならない。
人間がゆったりと寛大で、心がかぎりなく広かったら、喜びも怒りも、人間の本性の障害とならず、
いろんなものに苦しみ悩むこともない。」


1310年ごろから21年間ほどかけて書かれた吉田兼好徒然草の一文、
現代の人生訓としても読み応えのあるものが多い。
現代の世間の様子、寛容という点ではどうだろう。
恨みと怒り、
虚偽に不信、
現代も続く人間の業。