尾崎喜八 『田舎のモーツァルト』




自然と勤労の詩を書いた尾崎喜八の、『田舎のモーツァルト』という詩がある。
詩の舞台は、安曇野


        『田舎のモーツァルト

   中学の音楽室でピアノが鳴っている。
   生徒たちは、男も女も、
   両手を膝に、目をすえて、
   きらめくような、流れるような、
   音の造形に聴き入っている。
   外は秋晴れの安曇平、
   青い常念と黄ばんだアカシア。
   自然にも形成と傾聴のあるこの田舎で、
   新任の若い女の先生が孜々(しし)として
   モーツァルトのみごとなロンドを弾いている。


この詩は喜八の晩年75歳(1966)の作である。
安曇野の中学校。
自然が造りだした美のなかで、ピアノの調べに耳を傾ける生徒たち。
翌年、喜八は世を去った。


長い戦争が終わったとき、喜八は54歳だった。
こんな決心を書いている。


「たとえ戦争による心身の深い痛手がなくても、
もう人生の迷いの夢からさめていい年齢だった。
この上はまったく無名者としてよみがえり、
ただびととして生き、
艱難も屈辱もあまんじて受けて、
今後こそは字義どおり、
また永年の念願どおり、
山野の自然に没入して
万象との敬虔な融和のなかに
魂の平和をつむぎ、
新生の美しい視野を得なければならない。」


戦争を経て、詩人はよみがえりを果たす。
そして生まれた詩集が『花咲ける孤独』。
そのなかの一編の詩『或る晴れた秋の朝の歌』。
妻へ語りかける詩である。


   又しても高原の秋が来る。
   雲のうつくしい九月の空、
   風は晴れやかなひろがりに
   オーヴェルニュの歌をうたっている。


   すがすがしい日光が庭にある。
   早くも桜のわくらばが散る。
   むしろや唐箕(とうみ)を出すがいい、
   ライ麦の穂をけふは打たう。


   名も無く貧しく美しく生きる
   ただびとであることをおまえへも喜べ。
   しかし今私が森で拾った一枚のかけすの羽根、
   この思ひ羽(ば)の思ひもかけぬ碧さ(あおさ)こそ
   私たちにけさの秋の富ではないか。

  
   やがて野山がおもむろに黄ばむだらう、
   夕ぐれ早く冬の星座が昇るだらう。
   さうすると私に詩の心がいよいよ澄み、
   おまへは遠い幼い孫娘のために
   白いちひさい靴下を 
   胡桃(くるみ)いろのあかりの下で編むだらう。