いじめを生む文明


        二つのビデオ


一ヵ月半の仕事から帰ったら、録画ビデオがいくつかたまっていた。
その期間に放送された番組のなかから、
よさそうなのを洋子が選んで録画してくれていたもので、
なかに、中国の聴覚障害の人たちが演じる舞踊「千手観音」があった。
最初の画面を見て、感嘆の声をあげた。
たくさんのダンサーが縦に並び、正面から見ると、
あたかも観音様の千の手が一体となったかのように、寸分の狂いもなく、
腕が伸びたり縮んだり、上がったり下がったり、手のひらが集まってひらひら動き、
やがて前列から左右に分かれて、舞台上にたくさんの観音様が現れる。
観音様の姿をした女性の顔に、慈愛のほほえみ。
耳の聞こえない人たちが、どうしてこのような一糸乱れぬ舞踊を行なえるのか、
ドキュメントは、「千手観音」を思いついたいきさつ、その練習風景、
そして若いトップダンサーの家族のドラマが描かれる。
一体になろうとして精神を集中させた練習、合わせようとする心が生み出した、
見事な「千手観音」の輝き。


それを見終わったあと、
録画テープの続きに入っていたのが、いじめ対策の長野県チームを取材したドキュメンタリーだった。
長野県教委のなかに「いじめ対策チーム」というのがつくられている。
チームはいじめの相談を受けると、すぐさま行動を起こす。
行動には、手控えはない。
本気でやっている。
まさに「いじめ110番」。
トップの課長に就任した男性には、深い悔いと憤りと悲しみの過去がある。
息子がいじめによって自殺した。
一般企業の猛烈社員であった彼は、息子の苦しみを知らず、救うこともできなかった。
彼は、学校にいじめの事実を問いただすが、学校はいじめはなかったとして、事実を明らかにしようとしない。
裁判闘争になった。
しかし、学校はますます頑なになっていく。
どうしようもない現実の中で彼は、
学校からいじめをなくす実践を行なうという条件で和解の道を選んだ。
このような前歴のある彼を、前・田中知事は、学校を教育委員会の内側から改革してほしいと、
いじめ対策課長に抜擢したのだった。
いじめの相談を受けると、チームは学校に飛び、調査に入る。
長野県は、広い面積をもっている。
3時間も4時間も車を走らせなければならないところが多い。
おもむいた学校の教師たちは、いじめの実態をつかんでいなかったり、
いじめている子どもを指導する力も持っていなかったり、
いじめっ子の親は、その事実を否定しようとしたり、
露呈してくる現実に対して、チームは次々と手を打っていく。
そして学校を卒業して二十台になったいじめ体験者を学校派遣員に委嘱して、
学校での講演や、相談活動を行なうようにしていった。
こうして、教師たちには打ち明けなかった事実が、彼ら学校派遣員の活動によって明らかになっていった。


これは対症療法に過ぎないかもしれない。
限界もあるだろう。
しかし、本気の動きが、何かを変えていくことは事実だ。
子どもたちが動き出し、生徒による「いじめ撲滅委員会」がつくられ、
学校が変わりつつある実例もある。


いったい根治療法とは何なのか。
根治できるかどうかは分からないが、
根治しようとするなら、子どもの育ちのなかの、
何が、いじめるという心の働きを引き出しているのか、
を調べなければならない。


子どもの育ちにとって、欠かしてはならない何かが欠けている、
あるいは弱くなっている。
キーワードは、「遊び」と「友情」だと思う。
「遊び」の質と量が、現代文明によってずたずたに切り裂かれ、変えられ、
子どもたちは、友だちとの間に深めていく友情の圧倒的な喜びを味わうことが乏しくなり、
強力な友だち関係をつくっていく力、子ども社会を構成していく力が、薄弱になってしまった。
社会が、子どもの育つ世界を壊してきたのだ。
社会を作り直していかなければ、子どもは壊れていくばかりだ。
作り直しは、まず親と教師からはじめなければならないだろう。