バチ(罰)
茶碗にご飯粒がひとつ残っていました。
「バチが当たって、目がつぶれるで。」
農業一筋で生きてきた祖父は言いました。
一粒の米も無駄にするな、親や祖父母のしつけは今も僕の食事のあとの食器に現われます。
一粒のご飯粒も、おかずのかけらも僕の食器には残っていない。
捨てるものは何もない。
すべては活かして使い切る。
それがそのものを生み出した神に応えることよ。
作った人に応えることよ。
麦畑からヒバリが飛び立った。
麦畑のあのあたり、ヒバリの巣があるらしい。
「ヒバリの巣をとったらあかん、バチが当たって勉強できんようになるで。」
農家の叔父が、小学生の僕に言いました。
悪いことをすればバチが当たるぞ。
神や精霊は生きていました。
アイヌやネイティブアメリカン、アボリジニ、
自然の中で生きてきた世界の民族には、
日の神、火の神、川の神、海の神、水の神、風の神、山の神、
神が生きていました。
木の精、魚の精、鳥の精、草の精、森の精、
精霊が人の心に生きていました。
川を汚せば、川の神が怒る。
森を破壊すれば森の精霊が怒る。
神に感謝し、精霊に感謝して、その恵みをいただく。
恵みをいただいて、人間は生きる。
「バチが当たる」
この言葉が生活から消えて、「罰当たり」が増えました。
「罰当たり」は「バチが当たる」ことなど信じない。
神も精霊も、そんなもの存在しない。
川の中に、ゴミを放り投げて、車が行ってしまった。
バチよ当たれ、
ヘドロのたまった、汚れた町の川、
すでに神も精霊も住めぬ川、
それでも鯉がまだ生きのびて、20匹ほど群れていた。
神様、精霊たち、あなたがたは滅びてしまいましたか。
奈良の御所に住んでいたとき、裏の畑のきわに、
樹齢八百年のケヤキの大木と、
樹齢は不明の大イチョウが並んで生えていました。
木の傍の大きな屋敷の持ち主が、
境界に生えているイチョウが塀を作るのに邪魔になると、
業者に頼んで勝手に根元から切り倒してしまいました。
イチョウの木は悲鳴をあげて倒れました。
神様、バチは当てないのですか。
もうすでにバチは当たっているのですよ。
知らぬ間に。
罰当たりな人間たちに。
海の神、風の神、川の神、
大地の神、
世界中で、神々が怒り出している、
その声が聞こえませんか、
その姿が見えませんか。