高遠菜穂子の講演会

   
        小さな村の確かな意識


安曇野の北部に、松川村という小さな村がある。
高遠菜穂子さんが、松川村の公民館で講演をするというお知らせを新聞で見て、
聴きに行くことにした。
2004年4月、イラク戦争のさなか人質になり、自己責任だとか言われてバッシングにあった彼女は、
今も元気に活動を続けている、せひ話を聴きたい。


3月18日、午後、車で広域農道を行き、ちひろ美術館の前を通り過ぎると、
燕岳に連なる雪の峰みねと鹿島槍の峻険が、際立ってきた。
何の標識もなかったし、山を見ながら行ったためか、大町近くまで行き過ぎて、引き返すはめになった。


村役場に隣接する公民館講堂は、すでに満員だった。
講堂は小さい。200人ぐらいでもう満員になる。
この小さな村の、このような講演会に、こんなにも人が集まってくる。
この村の意識の高さ、文化の高さがうかがわれた。
今日の講演会の主催は、松川村九条の会>、後援は、村と村の教育委員会、そして信濃毎日新聞社など三つの地元新聞社だった。
ぼくは一番前列に空席をひとつ見つけて座った。隣に車椅子の人が座っている。


演壇の上手に置かれた机の前に立った高遠さんの表情は硬い。
高遠さんは、ノートパソコンを操作しながら、壇上正面のスクリーンにビデオを映し出しながら話した。
「報道の見えない壁の向こうで、イラクでは何が起きているでしょうか。」
彼女は、まずイラクはどんな国だったかという話をした。
「旦那さんがスンニ派、奥さんがシーア派、恋人同士がスンニ派シーア派というように、
イラク戦争までは民衆のなかに対立はなかったのです。」
彼女は、いま、イラク国内に入れないために、二箇月に一回は隣国のヨルダンに入って、
イラクストリートチルドレンへの職業訓練活動を行なっている。
人質事件が起こるまでは、イラク国内に入り、
家も親も失って、シンナー、ドラッグにのめりこんで自暴自棄におちいっている青少年に働きかけ、
少年たちの手で建物を改築し、そこに住んで、手に職をつける訓練をしていた。


テロリズムと住民のレジスタンスは違うのです。」
高遠さんは、、その実態を明らかにする。
レジスタンスが出現するのは、2003年6月。
米軍の占領に反対するファルージャ住民デモへ、米軍が発砲する。
多数の死傷者が出た。
それがきっかけだった。
外国から過激派武装勢力イラク流入、当初両者が共闘したために、米軍の掃討作戦が激化し、
米軍によるファルージャ総攻撃が2004年に2回にわたって行なわれた。
7000人の死者が出た。
ファルージャの街は壊滅状態になった。
米軍は化学兵器を使ったのではないか、それは死者の様子から推察できるという。


高遠さんは、現地で入手したその時の映像をスクリーンに映し出した。
「気分の悪くなる人は見ないでください。」


米軍はクリスマスに、死者の一部、75体の遺体を避難民に返還する。
袋に入れられた遺体の腐乱臭は、3キロ離れたところまで届いた。
郊外に避難していた住民たちは、返還トラックに群がり、
遺体を担いでいった。
袋を開いて見ると、遺体には無数のウジがわき、誰であるかを識別することは不可能だった。
人びとは、遺体から逃げることをしない。
怒りと悲しみに打ち震えながらも、それが誰であるかを調べようとする。
遺体の中には、骨まで燃えているのがあった。
腐敗しない青く変色した遺体があった。
それらの遺体の状況から、化学兵器を米軍は使ったのではないかという疑惑がふくらんだ。


公民館講堂のスクリーンに、遺体は大きく映し出された。
集まっていた人たちのほとんどは、顔を伏せることなく、
戦争の悲惨の実態を直視していた。


2004年9月、イラク人の協力者を得て、高遠さんの職業訓練プロジェクトが始まった。
家も家族も失って荒む子どもたちは、殺し合いのけんかもした。
2005年4月、ナホコセンター開設。
少年たちは共同生活をはじめ、家具工場を立ち上げ、自分たちで施設作りを始めた。
2005年、イラク国民議会選挙、そのころからシーハ派民兵の多数によって構成されたイラク軍や警察によるスンニ派地域での殺害が行なわれるようになった。
死者は4万人から12万人とも、数は確定できない。
やがて外国から、スンニ派、シーハ派の過激派がイラク流入、殺し合いは泥沼化する。
バクダッドにはスンニ派は住めなくなり、
スンニ派地域の住民のレジスタンスは、イラク軍と内戦状態になった。
2005年11月、イタリア国営放送が、米軍が化学兵器白リン弾を使用したことを報道。
2005年末、ストリートチルドレンはますます増加する。
しかし高遠さんのプロジェクトは12月で終わった。
共同で住んでいる少年たちは、民兵組織に狙われる危険が迫ったから、協力者の家に分散してステイさせてもらうことになった。


かつて共存してきた人たちは憎悪の関係になり、暴力は止まない。
高遠さんは、ヨルダンのアンマンから、連絡を取りながら支援活動を行なっている。
ファルージャの、ストリートチルドレン再建プロジェクト。
学校を再建しよう。
破壊よりも再建を。
武器を持つレジスタンスは、憎しみの連鎖を生むだけ。
武器を持つことをやめ、工具を持って国を再建していこう。
自分のなかの怒りと憎しみとたたかおう。
それがテロとの闘いなのだ。


「私のテロとの闘いは、自分の中の怒りと憎しみとの闘い、
非暴力だから、できる。」
高遠さんの声が涙声になり、震えていた。