コミュニケーション

 
         ランの意思 
       

二歳を過ぎて、少し大人になってきたかな、ラン。
冬の早朝は、室内でもよく冷えている。
ランが子どもの頃は、外が明るくなると、
こちらが寝ているときに、寝室の外でカタカタ歩き回り、合図を送ってきた。
それでも起きないと小さく吠えて、
「起きてよ、起きてよ」と、促した。
それが今は、とうちゃん、かあちゃんが寝ている限り、
夜が明けていても、廊下で丸くなって寝て待っている。
決して起こそうとしないね、おりこう、おりこう。


夜、廊下に敷いた毛布の寝床で眠るランの姿はみごとな円形になっている。
体表面を小さくして体温の発散を最も少なくする体形だ。
脚は身体の下に曲げて入れ、身体を丸めて頭部をお尻にくっつけ、
尻尾は外側を囲む、黒い円盤。
夜中にぼくがトイレに行くとき、ランの身体の上をまたいでいくが、
起きようとしない。


昼間の天気のいい日、ランはリードでつながれて、庭で過ごす。
庭に来る小鳥も、野良猫の子猫も、それを知っているからランを恐れない。
すぐ近くで小鳥は餌をついばみ、子猫はゆうゆうと遊んでいる。
ぽかぽか日が照り、ランは小鳥や子猫を眺めながらいい気分で寝そべっている。
ランは強風がきらいだ。
風が強くなると、不安になってきて、
「家に入りたいよー、入れてよー」、と吠える。


退屈してくると、「遊ぼうよー」、と誘いの声を出す。
「遊ぶのー? 遊びたいのかー?」
待ってました。
ランは、ピョンピョン飛び上がり、遊び道具の、かあちゃんの古靴を口にくわえる。
「靴投げしようよ、とうちゃん。」
ぼくはそのひとつをポーンとほうりなげる。
ランは飛び上がってくわえる。
次は長いリードの許す範囲の距離で靴を遠くへ投げる。
ランは全速力で取りに行って、くわえてもってくる。
40回、50回、これを繰り返すと、
ランは息切れして、舌を出してくる。
「はい、おしまい。」
おしまい、おわり、この言葉もよく解っている。
ランは、満足、満足。


「散歩に行こうか。」
ぴょーん。
ウンチ入れの袋と、餌袋を持って、出発。
ランは、とうちゃんの左側につき、
前へ出ず、引っ張らずに、同じ速度で歩いていく。
「ランちゃん、おりこう、おりこう。」
ときどき声をかけて、ほめてやる。
「はい、お座り、伏せ。」
小さな小さな乾した雑魚をひとつ。
1時間ほど歩いて帰ってくる。


不思議な思いのする、ランの行動がある。
家の中にいるとき、いつもランは居間で過ごす。
誰もいない二階へランだけで上がることはない。
ところが、ある日の夕方、何を思ったのか、
階段をコトコト上って二階へ行き、下りてこない。
どうしたのだろう。
様子を見に行くと、廊下の寝床ですやすや眠っている。
疲れたのかな、静かな寝床で眠りたかったのかな。
まだ寝る時間でもないのにね。
何か思うんだなあ、何か考えるんだなあ、
ランにはランの、はっきりした意思がある。
それからときどき、甘えん坊のランなのに、ひとり静かに眠りたいとき、
とうちゃん、かあちゃんの所から離れて二階へ行く。


この頃、ランの夕飯は午後5時。
5時前になると、ひたすら待っている。
かあちゃんが歩くと、後ろについて回る。
そこで、かあちゃんが教えた。
「まだ、まだ、この時計の針がここに来て、
5時の時報がなったら、ご飯だよ。」


キンコン、はい、ひとつ。
キンコン、はい、ふたつ、
キンコン、みっつ、
キンコン、よっつ、
キンコン、いつつ、
はい、ご飯だよ。
ランは、ぴょーん、ぴょーん、飛び上がる。


それから、置時計が五時を打つ前奏のチャイムが鳴り出すと、ランは、正座して待ち、
時報を五つうつと、ピョーンと飛び上がる。
ご飯を待つランは真剣そのものだ。
ご飯が生き甲斐だね。


夜、寝る前に、ランはトイレに行く。
「ランちゃん、もう寝ようか。」
それまで居間に寝ていたランは、寝ぼけ眼で起き上がり、部屋を出る。
「ランちゃん、トイレしていきなさい。」
かあちゃんが、声をかけると、
ランは、廊下のラン用のトイレでおしっこをする。
ときどき、足を濡らして、拭いてもらい、
それから、ゆっくり階段を上っていく。