家族で旅を楽しめよ


     息子からの電話


息子から電話がかかってきた。
午後10時近かった。
今まだ、会社だという。
こんな時間まで何をしているのと訊くと、
コンピューターの導入のことで、ここ2か月は猛烈な忙しさで、
まだ家に帰れないと言う。
「無理したらあかんで、はよ帰れ。」
思わず命令口調になった。
すると息子は、
「オヤジの背中を見て育ってきたから。」
と言った。
息子夫婦に子どもが生まれたのは、昨年4月。
子どもの話になると、息子の言葉の調子が、父親の響きになった。
 

「オヤジの背中を見て」と息子が言ったのをを聞いて、
「何を言うか。」と応えたものの、
そうだなあ、と思う節もある。
息子が生まれた年も、
それから息子が小学校を出るまでも、
荒海にこぎだした船の上でオールをにぎっているかのように、
教育創造の仕事の波にもまれつづけ、
格闘し疲弊していた。
息子の幼児期や小学校低学年のころは、
深夜に帰宅する日が多く、
いちばん子どもと暮らしを楽しめる時代が、
仕事や運動に明け暮れる日々だった。


思えば今も、天からやるべきことが降ってくるように、
次から次へやるべきことが湧いてくる。
合宿制をとっている中国人技能研修生への日本語教育も、
やれる限り誠意をつくして、送り出したいと思うから、
多忙はつきまとう。


だがしかし、あのころも、忙中の閑をつくって、山にも登っていたよ。
夏休み、同僚の教師たちと出かけた北アルプスは、
黒部五郎岳薬師岳穂高岳剣岳
同僚の娘も参加したことがあった。
教え子の卒業生たちとも、北アルプス中央アルプス南アルプスに登った。


家族では、休日や休暇は野外で遊び、その楽しさが心身の疲れを癒した。
日曜日、いい天気だよ、奈良公園へ行くか、
出かけたピクニック、ハイキングは数限りない。
次男が、まだおむつをしていたとき、
家族四人で春の白馬山麓、栂池の雪に遊んだ。
スノウボートに乗った次男が雪に触って、冷たくて泣きべそをかいとった。
帰りは富山から大阪まで寝台車。ひとつの寝台にそれぞれ親と子二人。
もう11時を回っていたのに、
長男が、「にらめっこしよ。」
と言うから、天井の低い二等寝台の上でにらめっこした。
息子が4歳と5歳のときに、北八ガ岳の雪の春山に登った。
息子たちが、長靴で新雪の斜面を降りていくとき、
滑落しないかと気を使うことしきりだった。
5歳と6歳のときは、八ヶ岳野辺山高原の牧場で遊ぶ。
息子の飛ばした帽子が早春の風に乗って、青空高く舞った。
幼児期から小学生のころまで、
木曽の妻籠のなじみの民宿に毎年出かけ、囲炉裏で五平餅を焼いた。
冬は、乗鞍高原野沢温泉志賀高原鹿島槍、白馬へスキー、
夏は、北陸、紀州、四国、山陰の海、木曽や奥吉野の川へ、
子どもと家族で過ごす幸せ。
結構暮らしを楽しんでいたよ。


息子に、
ひとりで、しょいこむんじゃないよ、
と言うのを、忘れていた。
たぶん、息子はひとりで仕事をしょいこんで、
システムを完成させようとしているんじゃないか。
会社が業者に出せばいいことを、
社員のお前に任せているのじゃないのかい、
と言いたいが、それは言わなかった‥‥。


それもオヤジの背中かいねえ。
お前も、子どもと暮らしを楽しめよ。
家族で、旅を楽しめよ。