ツチノコ探検隊


      夏休み、クラスの子らと


ツチノコって、知ってる? ノヅチとも言うんや。」
夏休みが近づくと、クラスの子らに話しかける。
「こんな太くて短い蛇やで、‥‥」
ぼくは両手を広げる。
「そいつが跳ぶように走るんや。追いかけてきよる。山の中におるんやで。
何人も目撃したとか、襲われたとかいう人がいる。」
また先生、作り話をしているな、という目つきをしながらも、
「知ってる、知ってる、読んだことがある。」
怖い話や冒険好きの子どもらは反応する。
「そこでや、夏休みに、ツチコノ探検に行こうと思うねん。行きたい子、行かへんか。」


毎年、クラスで十人足らずの子が、乗ってきて、
ツチノコ探検隊に行くぞ」
となって探検隊をつくった。
目的地は吉野川上流、
吉野川とその支流は、深い森からの豊富な水を集め、
支流や源流に行くと、透明な水が光の輪を描き、神秘の淵をつくっている。
いちばんよく行ったところは、東吉野・高見山の峠から森の水を集める谷川。


我が家のテント2張り、飯ごう、コッヘル、石油コンロ、すべてぼくが用意する。
食料計画だけは子どもたちといっしょに立てて、店から買ってくる。
2泊3日のキャンプだ。


電車・バスを乗り継いで、目的地に着いたら、セミ時雨を浴びて、川原にテントを設営。
「川原は、気をつけなあかん。夕立が来たり、上流で雨が降ったりすると、
急に水かさが増えて、テントが流されることがあるんや。
黒部川の上流に、上の廊下というところがあるんやな。
上の廊下を源流までさかのぼる計画を何度も実行したことがあるんやが、
台風が来て大雨が降ると、水位が10メートルも上がることがある。恐ろしい。
テントを張るということは、そういう危険を予測して、
どこに張ったら安全か、もし水位が上がったら、どこへ逃げるか、
よう観察する必要があるんや。」


テントを張り終えると、子どもらはまずは水のなかへ。
干天つづきで、水量は少なく、それでも淵は格好の水泳場となる。
そのころ、吉野地方には、川を天然の子どもの水泳場にしている集落が多かった。
ぼくらはそれよりもっと上流へ行った。
「わあおおー、冷たい」
上流の水は冷たく、上に人家のないところでは、
泳ぎながら、透明な川底の小石を見つつ流水を飲むこともできる。


流木を集めて火を起こし夕ご飯を焚く。
日は西の山陰に入った。
夜はキャンプファイア、肝試し、
そして、いよいよツチノコ探検だ。
「気をつけろよ。森の中で音がしたら、動くな。
棒をみんな1本ずつ持て。
ツチノコは大きな口をしとる。
一飲みされるぞ。
懐中電灯の光で、眼が光る。気をつけろ。」


川原の上空は、満天の星だ。
「あれが、白鳥座や。あれが翼、分かるか」
懐中電灯の光の白線を、星に向けて指し示す。
一行は、懐中電灯を持ち、一列になって森の道を行く。
もう星明りもなく、森の木の香りだけが漂う。
「先生、あれ何? 光ってる。」
「何やろ、近づいてみろ。」
どうも何かの虫らしい。光をかすかに出している。
「音がした、そこ。」
懐中電灯に照らされたのはガマ。
結局、ツチノコには出会わなかった。
出会ったのは森の闇。


翌日は上流へ上流へ川をさかのぼる。
川が蛇行して木が川を覆うように生い茂っているところには、青く水を蓄えた暗い淵があり、
そこに来ると、ぞくっと体が感応する。
原始が残っている場所は、体の原始が感じ取る。
浅瀬をじゃぶじゃぶ歩き、淵を泳ぎ、川探検は、好奇心をかきたて、スリルがあって、痛快このうえない。
しかし、やっぱりツチノコはいなかった。


キャンプ地にもどると、石ころを積み上げて、水をせきとめ、プールを作り出す子がいる。
ドンコのような小魚を取る子がいる。
束縛するもののない、
自由な子どもの世界。
水と戯れ、山の空気で全身を浄化した子どもは、
原生子どもに純化する。


あるとき、夜にイノシシがテントの周りをうろついたことがあった。
僕が起きていくと、イノシシは逃げていった。
あるとき、上流で夕立が降り、
5センチほどの突然の増水が、食後に水に浸けておいたコッヘルと食器をガラガラ音を立てて流し始めたことがあった。
それ来たぞ!
子どもらは教えられたとおりの行動をとって、流されかけた物を集め、安全な高みへ移った。
あるとき、テントの中で話に花が咲いた。
「ぼくの好きな子はなあ、‥‥」
男の子たちは、クラスの女の子談義。
こんな話、学校では話せない。


ツチノコは、毎年見つからなかった。
今年も見つからなかったなあ、といいながら、
また翌年、探検隊を出していた。
1970年代から80年代にかけてのこと‥‥。