⑩ 新たな学校で登山部をつくる


          真夜中の鱒とり


6年間務めた淀川中学校から新たな学校へ転勤して、
そこでも登山部を作ったときのことである。


矢田中学校、当時の大阪では困難校として知られていた学校で、
ぼくはあえてそこを志望して転勤した。
先輩教師の苦闘を観て、なにがしかの協力をしたいと考えたからだった。
転勤早々に再びぼくは登山部を作った。
部活動がまったく機能していない学校だったから、
その存在は新鮮だった。
入部してきた子どもたちは、困難校という世間の評価とはまったく逆の、
素朴そのものと言ってもよい子どもたちだった。
近隣の山から、登山部の活動が始まった。


夏の初めだったか、秋の初めだったか。
和泉山脈岩湧山でキャンプしたときのことであった。
和歌山県側から大阪側へ、岩湧山を越える。
途中で一泊キャンプした。
森の中でテントを張って、飯ごうで飯を作り、
食事を済ませて寝ることになった。
部員は二十人ほどいた。
就寝は九時、焚き火を眺めながら、子どもたちの寝静まるのを待っていた。
寝袋や毛布にくるまった男の子たちが静かになったところで、
ぼくも自分のテントに入った。


真夜中のことだった。
話し声や叫び声が聞こえる。
今頃なんだ?
目を覚ましたぼくは、テントから顔を出して外を見た。
暗闇の中に懐中電灯の光が交叉する。
「そっちへ行った、そっちへ行った。」
「でかいぞ、でかいぞ。」
子どもらが叫んでいる。
「おい、何してるんだ。」
「先生、魚、でっかい魚や。」
「なにい、魚?」
テントのすぐ近くに、小さな流れがあった。
幅二メートルほどの流れだったが、その中に、マスがいたのだ。
どうしてこんなところにマスがいるのか。
察するに、下流の養鱒場から逃げたマスが、谷川を上り、
とうとうこんな上流の流れまで上がってきたのだろう。
時刻は真夜中の二時を回っている。
ぼくは、マスのことよりも、夜中に起き出してマスとりをしていることが頭に来た。
「何時だと思っているんだ。明日は頂上を越えて歩かなければならないんだぞ。」
その日もかなりの強行軍だった。明日の行程も長い。
叱りとばして、彼らを寝かせ付けたのだったが、
考えてみるに、彼らはどうして漆黒の闇の中、マスが遡上してきていると分かったのだろう。
テントから流れまでは、十メートル以上距離がある。
寝ていたはずの彼らが、何に気づいて起き出して、流れを見に行ったのだろうか。
水の中で、魚の水をはねる音が聞こえたのだろうか。
何かに気づいて起き出し、マスを発見した不思議。
見つけたら狩猟本能が動き出し、彼らは興奮してマス捕りを始めた。
草木も眠る丑三つ時だ。
いまもってその時の子どもたちの謎が解けない。
子どもたちのなかの野生がそうさせたとしか思えない。


翌日は、雨になった。
登山は寒さと疲労で、言葉を発するのも大儀になった。
大柄な体の、すこし知的障害のある子がバテた。
ぼくはその子を背負って山を越えた。
麓の河内長野に着いたときは、疲労困憊だった。
子どもたちも雨に濡れて、体が冷え切っていた。
ぼくは、
「銭湯へ行くぞ」
と叫んで、一行を風呂屋へ連れて行った。
銭湯で体を温めさせよう、そう思ったのだった。
脱衣場で、子どもたちは濡れた服を脱いで浴槽に飛び込んだ。
そのとき入浴に来ていた一人の男が怒り出した。
土に汚れた服で脱衣場が濡れてしまった、
それに突然大挙してやってきた、
男はかんかんになった。
「どこの学校だ、教育委員会に言うぞ。」
それを擁護してくれたのは銭湯の番台にいたおばさんだった。
「そんなこと言うてもなあ、
いいよ、いいよ、気にせんでな。」
男はぶつぶつ言いながら帰っていった。
温まった子どもたちは、それから電車に乗った。


こんなこともできた、
青年教師だった時代の話。