②登山部をつくる


          校長を説得して登山部実現

        <こういうこともできた時代の ひとつの記録です>


足りないものだらけだった。
運動部は、新設二年目だから、野球部とバレーボール部があるだけだった。
登山部をつくりたい、職員会議に提案を出したら、
校長がしぶい顔をして反対した。
直接校長室に乗り込んでいって提案したが、
頑として受け付けない。
危険すぎる、というのだ。
当時、山の遭難が多かった。
校長室で、オレは校長を説得した。
困難や苦しみを乗り越える力をつけたいです。
深い自然の美しさを教えたいです。
仲間と助けあう心が育ちます。
子どもは不思議の世界が大好きです。
それは分かるが、やっぱり危険が多すぎる、中学生には無理だ、と校長は言う。
そこでついついオレは、こんなことを言ってしまった。
登山道のどこにどんな石があるか、わかっています、
言ってしまって、オレは生意気なことを言ったと悔いた。
だが校長は、そこまで言うなら、と条件を出した。
山行の前に親の許可を取ること、
先生二人以上で引率すること、
登山計画書を提出すること、
三つの条件をつけて許可すると言った。


「教師は自分のやりたい教育をやろうとする情熱をもたないとダメだ。」
それが校長の信念だった。
だから、校長は最終的に折れざるをえなかった。


登山部員の募集をしたら、
入ってきた、入ってきた。
コックになりたいという夢を持っている清。
家が酪農をしている頑健な昇。
まじめ一徹で、神経質な宏。
ダンディで粋な海三郎。
ピーナッツというあだなのかわいい司郎。
東京弁がはぎれよい理知的な恵一。
きゃしゃで繊細な正明。
底抜けに陽気でエネルギッシュな克好。
十数名の部員が集まった。


第一回登山は、六甲ロックガーデンで基礎トレーニングを行う。
日曜日、高座の滝から中央稜を登る。
名前が付いている岩がたくさんあるんだよ。
あれが、ゲイトロック、こちらがイタリアンリッジ、
A懸垂岩にB懸垂岩、
昔、ロッククライミングをはじめた人たちがつけた名前なんだよ。
新緑が輝き、大阪湾に汽船が浮かんでいた。
戦後、禿山になっていた六甲に緑を取り戻そうと、
ボーイスカウトたちが芦屋川の駅前で、
山に登る人たちに木の種を配っていたのが芽を出し、
月世界のようなところにも木が育っていた。
子どもたちは歓喜の声をあげて登った。