⑦四年目の夏山・大峰弥山

 
         生きる力を鍛える

     <こういうこともできた時代の、ひとつの記録です>


はじめてバテる子が出た登山だった。
淀川中学校登山部、四年目(1963)の夏山は大峰山脈の弥山と八剣山に登った。
八剣山は標高1915メートル、近畿の最高峰である。
今年高校一年になった卒業生を加えて総勢20名、ルートは天川村川合から弥山尾根を登る。
学校を出て、電車、バスを乗り継いで川合に着くと昼、そこで弁当を食べた。
天の川の釣橋を渡り、尾根に取り付いて、ひたすら登る。
長大な尾根、ハードな登高になった。
幕営予定地は狼平という弥山川の源流、
頂仙岳を巻いていく最後の登りになったとき、生徒のバテが出た。
中学一年生は体力がないから、自分の装備だけをかつぎ、
三年生や卒業生がテントや食料をかついでいる。
牛の昇君は特大キスリングを背負っている。
時刻は五時になっていた。
列が長く伸びはじめた。
目的地に早く着いて、食事の準備やテントの設営をしなければならない。
ここは、体力のあるものがバテ組の荷物の一部をもち、
もう一人の教師が先発隊を引率していくことにする。
子どもたちはあえいでいた。
はげまし、力づけ、狼平に全員が無事到着したのは、6時前だった。
疲労困憊の、苦しい登高から解放された彼らは草地に倒れこんで、安堵の声をあげた。
狼平は森の中に開けた草地、真ん中を源流が小川になって流れている。
登山は、目的地に着いたら終わりではない。
生きていくためには、生きていくための仕事をしなければならない。
寝るために、食べるためにしなければならないことがある。
いつ降ってくるか分からない雨の対策に、テントの位置や排水にも注意する。
明日に延ばすことのできないことをしておかねば危険が襲う。
元気なものは、疲れたものを休ませて動く。
みんなの回復が、明日のみんなの行動を保障するのだ。
山は、生きるための営為を放棄することを許さない厳しさをもつから、
子どもたちにとって大きな成長の糧となるのだ。


翌日、みんなは元気になった。
朝霧のなかを出発する。
弥山は1895m、森の中の山頂、
その南にそびえる八剣山の岩塊は天と地の接点、
紀州の連なる山塊は雲の下にあった。
ルートはそこから大峰山脈の尾根を北に下り、川迫川の源流に降りたところで二泊目の幕営をした。
三日目、川に沿っていくと、林業のトラックが下ってきて、全員を荷台に乗せてくれた。
山で働く若い運転手は、途中で車を止めると、ヤスを持って渓谷の清流に飛び込み、
淵の中にもぐっていった。
水から現れた男のヤスの先には、大きなアマゴが刺さっていた。
山で生きる男の力、荷台から眺めている生徒たちは驚嘆する。
子どもたちは、苦しい登山をやりきった自分、そして
自然の大きさと、そこに生きる人間を知った山行だった。