原生林でのロマンス
<こういうこともできた時代の ひとつの記録です>
月に一度、日帰り登山を重ねていくうちに、
次第に登山部員の装備や服装も整っていった。
大阪近郊の六甲山系、北摂の山、金剛山系、和泉山脈をほぼ登り、
次はいよいよ紀伊山地。
登山部の二年目の夏山は、大峰山脈の山上が岳と稲村が岳に登る。
二泊三日の幕営地のひとつは大峰奥駈け道の竜ヶ岳近く、
行く人のいない尾根道の幽すいの地は木々が生い茂り、
ガマガエルがテントの周りを歩き回っている。
昇はガマを平然とつかんで眺めていた。
大ダニが海三郎の腹に食いついた。
ダニの尻を引っ張ったら頭がちぎれて皮膚の中に残ってしまった。
夜の焚き火を囲むと盛り上がる話、
このあたり明治の頃までニホンオオカミが徘徊していた。
今も棲息しているという人もいる。
そして、三年目の夏山は大台ケ原、
メンバーは二十人になった。
自然を破壊すると言われたドライブウェイはまだ開通していない。
吉野川源流の筏場までバスで入り、一日かけて登る。
空晴れ、原生林が輝く。
大蛇ぐらの大岩壁の上に立って、重畳の山々に子どもたちは叫んだ。
これが山だ、これが山だぞ。
大台から大杉谷へ下り、堂倉小屋の近くにテントを張って食事を作り始めたら、
生徒たちの様子がそわそわして、気持ちが小屋に向いている。
彼らは何かこそこそ話し、次々小屋へ出かけて行く。
避難小屋のような粗末な山小屋、はて、どうしたのだろう、
観察していると、なるほど、そういうことか、
小屋から十五、六歳のかわいい女の子が出てきたのだった。
小屋番の父親の手伝いに彼女は麓から登ってきていた。
三年生は一目ぼれ、恋心が芽生えた。
翌朝、淡い恋をふりはらい、
残念だけれど下山するよ、
林道を抜けて筏場へ。
大峰、大台の百千の沢は岩をうがち、日本一の豊かさを誇る。
麓の清流にすっぱだかで飛び込み、汗を流して、一遊びだ。
すいすい泳ぎながら飲む水のうまさ。
堂倉の恋を忘れられない彼ら、
もう一度大杉・堂倉へ行こう、と言い出し、
彼らの夢は一年後に、大杉谷の全下降となって実現することになる。