⑪ 闇の中での野生体験


          闇と夜明けの不思議


自然界の底知れぬ暗闇や、
しらじらと明けゆく天と地の夜明けの神秘を、
現代の子どもたちは知らない。
自然界を流れる時間や、宇宙の鼓動を肌で感じたことがない。
野生を体験する、
山を歩こう。


子どもたちと夜間登山をやったことがある。
大阪と京都の境にある北摂の山だった。
淀川中学登山部は午後学校を出て、電車で高槻まで行き、神峰山寺口から山に入った。
山上に近い本山寺という寺にのぼり、日が暮れるまで遊んだ。
夕食は、持ってきた弁当を食べ、
八時ごろから夜中の十二時ごろまで、寺の一室を借りて眠った。
それから出発。
懐中電灯の明かりだけを頼りに、二十人の生徒たちは闇の中に分け入る。
ぽんぽん山を越えて善峰寺まで尾根道。
道はしっかりとしていて、危険なところはない。
山道の両側に広がる森の暗闇を感じながら歩く。
足音と、ときどき交わす彼らの声、
たまに夜鳥の鳴き声と小動物の動く音が聞こえるだけ。
暗闇の奥に得体の知れないなにかが潜んでいる気配がする。
午前四時前、
漆黒の闇がなんとなく、なんとなく、薄れ始めた。
見えなかった木立や藪が、かすかに現われ、
闇が遠のいていく。
夜がしらじらと明けだしたときは、まだ尾根道を歩いていた。
天から地から、どこからともなくやってくる朝。
東の空が色づき始めた。
新しい朝の到来だ。
子どもたちは、ただただ無言だった。
体のなかの何かと朝が共鳴していた。


矢田中学校登山部で、台高山脈高見山から国見山まで縦走したときのことだった。
二泊三日の登山だった。
二日目、高見山から尾根道を行く。
先頭を行くぼくの後から、十数人の子どもたちが続く。
とつぜん右側のブッシュから黒い粒々が空に舞い上がった。
見る間に、その黒点の数は増えて、頭上を覆い、唸り声をあげた。
「蜂だ、伏せろ。」
ぼくは大声で全員に叫んだ。
瞬間子どもたちは、荷物を背負ったまま、狭い尾根道に腹ばいになった。
ミツバチの大群は、上空を真っ黒にして飛んでいたが、やがて尾根の向うに姿を消した。
あわてた生徒一人が足を岩に打ち付けて怪我をした。
だが、蜂による被害はなかった。
大台ケ原に続く尾根道を行き、
国見山から明神平に入る。
尾根上に広がる草原、
そこが二泊目のキャンプ地だった。
谷間まで下って水を汲み、飯盒で飯を作って夕飯を済ませた頃から、
辺りに霧が立ち込め始めた。
霧はみるみる濃くなった。
日が暮れても、霧の勢いはやまない。
どっぷり暮れ、たちこめる濃霧に闇は深い。
八時を過ぎたころからだった。
動物の鳴き声がこだまし始めた。
その声は、鹿のようにも、サルのようにも、キツネのようにも思える。
皆目見当のつかない甲高い鋭い鳴き声は一匹ではない。
数匹が鳴き交わす。
声は霧の中を、テントの間近まで襲撃するかのように迫ってくる。
生徒たちは、おびえながらも正体を見ようとテントから出て、懐中電灯を照らすが、
濃霧にさえぎられて、光は届かない。
声のする方へ霧の中を近づいていこうとしても、
不審な動物は、右に左に移動する。
明治の終わりごろ、ニホンオオカミの最後の一頭が猟師によって捕らえられたのは、
この山系だった、と生徒たちに話す。
十時ごろやっと声が消えた。
興奮さめやらぬ生徒たちが寝についたのはそれからだった。
謎は解けなかった。


山の不思議、神秘、子どもたちがそれに出会い、
驚き、感嘆し、不思議がり、
未知の世界にチャレンジしていく姿のすばらしさ、
それがおもしろくて、
ぼくは彼らを引き連れて山に登っていた。