雪嶺を見よ

 

    昨日は朝からみぞれが降り、午後にはボタン雪に変わって夕方まで降った。その前には温かい日よりが数日あって、虫たちが、

   「春だよ、春だよ、温かくなったよ」

とばかり、どこからか現れ、

    イトトンボ、モンシロチョウ、ユスリカ、クモ‥‥、

    お前たちはいったい、どこから現れたのか。この冬をどこかで越して出てきたのか。

不思議、不思議、マイナス10度にもなったのに。

    スイセンが花咲きだした。クリスマスローズはすでに咲いている。匂いすみれも小さな花をつけている。けれど虫たちよ、食べ物はまだないぞ。まだ寒い日が来るぞ、どうするのか、と思っていたら昨日の雪。

    それがまた変わって今朝は、からりんしゃんと青空、アルプス連峰は朝日を受けて輝き、里山までまっ白。何度眺めても飽きることはない秀嶺。朝6時。

    ストック突いて、いざ行け、枯れ野を。

    四方眺めても、どこにも人影なし、鳥以外に動くもの無し。

    東山の方を見ると、南北に流れている犀川から川霧が立ち上っている。あの霧はこちらに広がってくるぞ。

    思っていると、その広がりは速かった。いつもそこまで歩くことにしている、穂高地区の桜の大木に着くころには、全天が霧に覆われてしまった。安曇野は霧の海。

    霧の中を歩いて我が家に帰り、しばらくすると、再び霧がはれてきた。

    午前中は、農協で、肥料と野菜の種と苗、ジャガイモの種イモを買ってきた。今年はモロッコインゲンを新しい場所に種を蒔く。トマト、キュウリ、ゴーヤの種も。

 

 今朝の新聞の天声人語にこんなことが書かれていた。

 「『歌は革命を起こせない。しかし歌は、自殺を止める力を持っている』。サザンオールスターズ桑田佳祐の歌詞集に寄せた解説で、村上龍が書いていた。 

 絶望しかないとき、思いとどまらせるのはなにか。昨年の小中高生の自殺者数が514人だったという厚労省の発表に、やりきれない思いがする。1980年以降で最も多い。学業不振や進路の悩み、友だちや親との不和といった原因から見えるのは、将来への不安と支える人の不在だ。今の子どもは電話を使わない。友人との会話はSNS。日本はずっとずっと貧乏で、本当は今も貧乏なのだ。」

 

 ぼくは胸ふるわせて、白銀に輝く雪嶺を見る。わが山の人生が始まってから変わらない、あこがれの雪嶺。

 今の子どもたちに雪嶺が見えるか。見る気力があるか。