半世紀前の「天声人語」、「ダモクレスの剣」は今も

 紆余曲折の人生上の遍歴によって、わが青年期のほとんどの記録が失われたが、かろうじて保存していたいくつかのなかに山日記がある。ぱらぱら目を通していくと、1961年春に、北さんと二人、鹿島槍ヶ岳の東尾根を登攀した記録があった。冬の豪雪のなかの登攀は記憶にあるのだが、この春山の登攀は記憶が消えていた。不思議なことだ。どうして覚えていないのだろう。
 さらにページを繰っていくと、色あせた当時の新聞の切抜きがはさまれていた。朝日新聞天声人語だった。当時の新聞の活字は小さかった。茶色に変質した細長い切り抜きの天声人語を読んでみると、あまりに小さい文字で、視力の衰えたぼくは、メガネをかけていても読むのが一苦労だった。拡大鏡を手にして読んだ。
 1行15文字、そして60行。現代の朝日新聞天声人語は、1行18文字で35行、単純計算すると、昔は900字、今は630字、現代のほうが文字が大きく、字数も少ない。
 その切抜きは、こんな記事だった。今読んでも新鮮であり、考えさせられる内容である。

 <オーストラリアのカウラという町に不思議な「日本人捕虜の墓地」があることが初めて知らされた。軍人軍属約四百人の死者の名前が全部“偽名”で、本名は一人も分からない。従ってその遺族もまったく不明という奇怪な話である。その地にこんど外務省の手で「日本人戦争墓地」がつくられるという▼戦争中の昭和十九年八月、カウラの「第十二B収容所」にいた約千人の日本軍将兵が暴動を起こした。野球のグローブや毛布で鉄条網をよじのぼり、食事用のナイフ、フォークを武器にしてあばれ、収容所を焼き払った。脱出した者も、首をつったり列車に飛び込んだりして果てたという▼それは「生きて虜囚のはずかしめを受けず」という“戦陣訓”そのままの“集団自殺”だった。捕虜の汚名を恥じて、収容所でも一人残らず偽名だったという。いわば、“偽名戦士の墓”で、文字通りアンノウン・ソルジャーズ(無名戦士の墓)である▼ソ連の墓地には何回も遺族が墓参に行き、父や子や夫や兄弟の墓が確かめられた。ニューギニアの密林や南海に果てた人々の遺骨はほとんどつきとめられない。が、本人たちが本名を秘めたために、死者の素性も遺族もわからないのは例外中の堤外であり、悲劇中の悲劇である。▼あのころは「カウラの捕虜」にかぎらず、国民の多くが“戦陣訓”的な絶望と異常心理にとりつかれていた。が、核兵器が“ダモクレスの剣”のように人類の頭上に毛髪一本で吊り下げられている現代人も、それに似た異常心理の“とらわれ人”だといえなくもない。▼核戦争がひとたび起こったなら、米ソ両国民はもとより、巻き添えを食う地球上の人類は、カウラの無名の捕虜たちと同じように、名も知れぬ何十億の遺骨と化するのだ。そのときはもはや“墓地をつくる人”もなく、もちろん“遺族”もなく、地球がそのまま“巨大な墓地と化す▼それなのに米英仏ソは果てしなき核兵器の積み上げ競争を続け、中共核兵器を造ろうとしている。最高の”賢者“をもって自任する大国の指導者たちが、反人間的な最大の愚を犯しているのは、最悪の異常心理で、現代の狂気のナゾというほかない。>

 これがその切抜きの天声人語である。
 それから1991年、ソ連は崩壊し、ロシアその他の共和国が分離独立した。そして今ウクライナ問題が起こっている。中国は核兵器保有国となり、経済軍事大国となったが、これからどうなっていくか不明である。そして世界の各地で、対立、紛争は絶えることなく続いている。
 人類は相も変わらず同じ愚を繰り返している。ダモクレスの剣は、核兵器だけではない。原発も環境破壊も、そして国家主義ナショナリズムも、ダモクレスの剣である。
 「ダモクレスの剣」の故事、シラクサの王の繁栄を、臣のダモクレスが称えた。それをきいた王はダモクレスを王座に座らせ、その頭上の天井から馬の毛一本で剣を吊るした。繁栄のうちに危険は常にはらんでいることを暗示したのだった。