ゴッホ 星への旅

 

 

 「ゴッホ 星への旅 上下巻」藤村信著(岩波新書)、<昨日の続き>

 ゴッホ(ヴァンサン)は、麦秋の海の中で、人知れず死を全うしたかった。夕べに麦畑のなかに倒れて、だれにも見出されずに、大自然に埋もれたかった。天上の星へ行き、星になりたかった。

    しかし、ねじがゆがんだ古いピストルは、すべてをぶちこわした。

ヴァンサンは弟テオの涙を見て言った。

    「泣くなよ、ぼくはみんなのためになると思って、やったのだ。悲しみは永遠に続くだけだ。」

    ヴァンサンの衰弱は著しくなり、夜の更けるにつれて命は尽き果て、埋み火の消えゆくように息絶えた。

   横たわるヴァンサンの上着のポケットから、テオにあてて、書きかけの手紙が見つかった。

    「わが弟よ、最善のものを絶えず求めようと思い、探究する努力がもたらすもの、これについて真剣にもう一度伝えたい。くり返し言うが、君はただの画商とは別のものであるし、ぼくを媒介として絵の制作そのものに参画している人間なのだ。これらの作品は、この瓦解の時代にもなお、その平静を保っている。われわれの置かれた状況は、まさにかくの如きで、相対的危機の今、これこそ肝心かなめの一点なのだ。ぼくは仕事に生命をかけてきたが、ぼくの判断力は半ばくずれ果てた。

    ぼくの知る限り、君はありきたりの画商などではない。君は真実に、人類愛をもって行動する側に立つことができる。君の意見はどうだね?‥‥」

    そこで手紙は途切れていた。ヴァンサンは願う。テオがヒューマニズムをもって生きる芸術家の側に立って、新しい芸術の創造に参加する画商となることを。

    オレは長い放浪の旅の中で「ほんとうの生活」を見つけようとおれなりの努力をしてきたが、つねに積み木細工のように倒れてしまった。さればこそ、弟が築き上げようとする「ほんとうの生活」を邪魔する存在であってはならない。オレはテオに金を仰いで、弟の生活の半ばを横領して生きてきた。この世の旅人であるオレは、弟の犠牲において旅を重ねてきたようなものだ。今やオレと同じ名前をもった赤ん坊がテオ夫妻に生まれて、その全き幸福を要求している。障害物でしかなくなった自分は消滅することによって、生命を譲り伝えていかねばならない。

    ヴァンサンはサンレミ(精神病院)の鉄格子の小部屋から、麦刈りの農民を描いて、麦を刈る人に死の象徴を見ようとしたことがあった。人間は刈り取られる麦である。死はすべてを黄金色にみたす太陽の光の輝きの中に過ぎ去っていく。ヴァンサンはほほえみを浮かべながら、黄金色に輝くその「刈り取る人のいる麦畑」を描いた。

    棺のかたわらには、ヴァンサンの使った画架と折りたたみ椅子、絵筆と絵具箱が置かれていた。

    野辺の送りは、午後三時から始まった。村の教会の司祭から、自殺者に霊柩車を貸すことはできないと言われ、隣村の別の車を霊柩車にして、麦畑の道を墓地に向かった。12人ほどの人に囲まれ、ヴァンサンの柩は村の墓地に葬られた。

    ヴァンサンが亡くなって6か月後、兄の呼び声の誘われたかのようにテオも他界したのだった。