静かな憤怒



 コウチャニュウ君が、映像のDVD記録を送ってくれた。コウチャニュウ君は海三郎君と同期、二人は同じクラスになったことはないが、半世紀たってから同窓の同志として現代社会に発信している。
 コウ君が中学三年のとき、学級担任のぼくは学級弁論会を二回開いた。各回とも弁士が6、7人出た。まったくのクラス内の弁論会で、学級生徒と担任だけの会。二回目の会で思いがけない演説が登場した。進行役は学級委員長のコウ君と副委員長の小形さんだった。弁士におてんば娘の原岡さんの番がきた。彼女は開口一番、差別に対する怒りと抗議を、激しい口調でぶった。なぜ在日韓国人朝鮮人を差別するのか、演説はクラスのみんなに対してというよりも、日本社会に一般的に存在してきた風潮に対してのもので、論理的ではないが、激情がほとばしった。クラスのみんなは一瞬凍りつき、進行役のコウ君の顔面が蒼白になった。
 ぼくは在日韓国・朝鮮人問題についての必要な知識・認識を未だ持っていない未熟者だったから、この訴えを生かして新たな授業へつなぎ、共生と連帯の社会を画く学びへ生徒を導く実践ができなかった。思い起こせば恥じるばかりだ。
 クラスには二つの学級新聞社ができていた。コウ君と、今は香港で日本料理店「慕情」を開いている辰巳君ら数人が、一つの新聞社をつくって出版していた。ぼくはポケットマネーでいちばん簡単な謄写版印刷機を買ってきて教室に置き、自由に使うように言うと、二つの新聞社は競うようにガリ版で原紙を切って、おもしろく楽しい新聞を発行した。コウ君は、一面の下のコラムに「パーキング」と名付け、「天声人語」に負けない記事を書いた。
 コウ君はその後、民族学校の大学で政治経済を学び、ジャーナリストの道を歩んだ。今は大阪の生野区に住み、映像を元にしたノンフィクション作家として活躍している。
 毎日新聞のコラムにコウ君が書いている。
「歴史を記録する重要性は言うまでもないが、従来、記録と言えば大半が文字と写真に限られ、映像はごく一部の映画やテレビ関係者の手にゆだねられてきた。まして歴史を彩るほどの事件や人物でもない庶民の生活は、省みられないまま消去されてきた。私自身も、これまで日本国内や海外で様さまな取材を行ない、新聞・雑誌に執筆してきたが、映像を撮ってこなかったことが悔やまれてならない。」
 この「悔やまれてならない」という思いは、よく分かる。その瞬間を文章に書くよりも映像に撮った方がはるかに事実を伝え得るという実感がある。3,11の津波の映像は言葉を必要としなかった。しかし、心深く沈潜するものは言葉にするしかない。
 コウ君はビデオカメラをもって、映像を撮り続けている。市井の民の人生をカメラに収めている。その映像のもつ力は大きいと思う。
 かつてベトナム戦争を取材しその写真を新聞社に送って、戦争の真実を世に知らしめた人たちがいた。たった一枚の写真が、ベトナムの本当の姿を人びとに伝えた。
 石川文洋もそのひとりだった。彼は、フリーでベトナム共和国軍、アメリカ軍に従軍し、戦場取材をおこなった。
 コウチャニュウ君は、「日本の科学者」の特集記事のコピーも送ってくれた。その号の特集は「排外主義の深層と共生への展望」だった。岩波書店の刊行した「ひとびとの精神史 全9巻」にも、彼は民族教育と権利の拡大について書いていた。
 次の部分には、彼の人生から発する静かな憤怒がある。
「社会にレイシズム(人種差別主義)が蔓延する時、その背後には常に国家による人種差別政策が存在する。ナチス・ドイツによるユダヤ人差別しかり、アメリカ政府による黒人差別しかり。ただし、多くの国では、時代の進展とともに差別制度が解消されてきたのに反し、日本では近年、むしろ強化されている。
 私は以前、在日韓国・朝鮮人の差別問題を考察するため、中国、アメリカ、旧ソ連に居住する在外のコリアンの実態を取材して回った体験がある。その際に確信したのは、いずれの国にも何らかの民族的葛藤は存在するが、法・制度的に差別が固定化されているのは日本だけだという結論だった。
 ひとつの差別を許容する社会は、性・障がい・民族・貧困・学力等々あらゆる『差異』を口実にして差別の連鎖を拡大していく。が、同時にその反作用によって、差別社会に住む人間の精神もむしばんでいく。」
 雲行きおかしな日本だ。政治経済の雲行きによって人間社会のベースが狂ってしまう。地方からも発信、行動していかなければならないと思う。