伊東静雄「春浅き」

 

 戦争遂行一色に染め上げられたアジア太平洋戦争の時代、日本の書店から書物らしい書物がほとんど姿を消していった。その時代に、伊東静雄の詩に胸うたれた詩人がいた。詩集は、わずかの部数しか刊行されていなかったために手に入れることができず、やっと手に入れたとき、

   「無くなっていく詩の姿をここに見ることのできる希望、我々が以前に見出せなかった詩がここに。」

と彼はつぶやいた。

 

    ぼくの好きな伊東静雄の詩のなかから一編。訳を少し入れる。

 

 

                            春浅き

 

あゝ暗と まみ(眉)ひそめ      (ああ、暗いなあと眉をひそめ)

幼きものの              (幼子が)

室に入りくる

 

いつ暮れし                                           (いつのまにか暮れてしまった)

机のほとり

ひぢつきて我 幾刻をありけむ  (肘をついて どれぐらい居ただろう)

 

ひとりして摘みけりと

誇り顔 子が差し出す      (誇らしげに 子がさしだす)

あはれ 野の草の一握り     (あゝ 野草の一握り)

 

その花の名を言へと言ふなり

わが子よ かの野の上は

なほ光ありしや         (まだ明るいのか)

 

目 とむれば          (目をとめると) 

げに花ともいえぬ        (なるほど 花ともいえない)

花つけり            (花をつけている)

 

春浅き 雑草の

固く いと小さき

実に似たる 花の数なり

 

名を言えと 汝はせがめど    

いかにせむ

父は知らざり

 

すべなしや           (どうしようもないね)

我が子よ さなりこは      (我が子よ そうだねえ これは)

しろ花 黄花とぞ言う      (白花 黄花だよ、と言う

そを聞きて うなづける     (それを聞いて うなずいている)

幼きものの

あはれなる こころ足らいは   (すばらしい満足感よ)

 

しろばな きいばな

声高く 歌になしつつ

走り去る 母のいる厨(くりや)の方へ