詩の玉手箱 「米」

 

 米が食べられない、そういう時代があった。ぼくの子ども時代、食糧難だった。高い金を出して「闇米」を買う人がいたが、多くの庶民は代用食を食べて、命をつないだ。芋、トウモロコシ粉、カボチャ‥‥。

 天野忠という人が、「米」という詩を書いた。

 

        米

この

雨に濡れた鉄道線路に

散らばった米を拾ってくれたまえ

これはバクダンといわれて

汽車の窓から 駅近くなって放り出された米袋だ

その米袋からこぼれでた 米だ

このレールの上に レールのかたわらに

雨に打たれ 散らばった米を拾ってくれたまえ

そしてさっき汽車の外へ 荒々しく

ひかれていった かつぎやの女を連れてきてくれたまえ

どうして夫が 戦争に引き出され 殺され

どうして貯えもなく 残された子どもらを育て

どうして命をつないできたかを たずねてくれたまえ

そしてその子どもらは

こんな白い米を 腹いっぱい食ったことがあったか たずねてくれたまえ

自分に恥じない 静かな言葉でたずねてくれたまえ

雨と泥の中で じっとひかっている

このむざんに散らばったものは

愚直で 貧乏な 日本の百姓の 辛抱がこしらえた米だ

この美しい米を 拾ってくれたまえ

何も言わず

一粒ずつ拾ってくれたまえ。

 

 

 戦後、米どころへ直接行って米を買い込み、列車の中に持ち込んで都会に持って行って売る「かつぎや」が現れた。彼らは生きるためにそれをした。警察はそれを取り締まった。警察が列車に乗り込んでくると、「かつぎや」は米を窓から投げ捨てた。