餅(もち)

 


       福よ、来たれ

    
昨年暮れに、孝夫君がお嫁さんと二人で、彼らの家でついたばかりの餅(もち)を持ってきてくれた。、
まあ何と種類の多いこと。
餅を入れたポリ袋に紙切れが貼ってあり、種類がボールペンで書いてある。 


ヨモギ餅 ○トウガラシ餅 
○黒米餅 ○黒米大豆餅 
○大豆餅 ○玄米餅 
○ゆかり餅(シソ餅)○エゴマ餅 
○白餅
全部で9種類、切り餅ばかり。
関西で食べるのは丸餅が多く、この地方は切り餅が多い。
近くのスーパーへ行って、雑煮用の丸餅を探したら1種類しか置いてなかったと洋子が言う。


子どものころ、大阪南河内の我が家では、
暮れの28日か30日に餅をついていた。
29日は、9の字がつくから「苦」に通じると親は言って、
その日を避けていた。
学校が冬休みに入ると、近くの山へ門松用の松を、子どもらで取りにいき、
門前に門松を飾る。
子どもらには子どもらなりの正月準備の仕事があった。
母はせっせと御節(おせち)の準備をしていた。
30日早朝、餅つき。
石臼を湯で洗い、杵を清め、
朝の暗いうちから火をおこし、一晩浸けていたもち米をせいろに入れ、それを何段か重ねて蒸した。
蒸しの状態を見る重要な仕事は、母が仕切った。
杵でつくのは男たち、子どもが幼いころは父がついたが、
子どもが大きくなるにつれて兄弟でついた。
臼取り(うすどり)は母。
父は餅が好きで、冬の間、餅を食べるのを楽しみにしていたから、
多い年は10臼から15臼もついた。
餅の種類は、ほとんどが白餅で、何臼かはヨモギ餅。
ヨモギ餅には、小麦粉の蒸したのを混ぜた。
餅を薄く切って干して作る「かき餅」は、大豆、ごま、砂糖などを加えたもので作った。


母がなくなり、私も妹弟も独立してから、実家では一族の餅つきをする伝統を止めることにした。
兄夫婦にとっては、その労力が大変だったためで、
それから以降、餅つきの日に兄弟家族が一堂に集まるということもなくなった。


元日、お雑煮は我が家伝統の白味噌雑煮で祝う。
毎年白味噌は、洋子が大豆と米麹で作る。
母からの伝統が味噌に受け継がれている。
餅は丸餅。
二日も丸餅。
三日に、孝夫君の切り餅をいただいた。
ヨモギ餅は、ヨモギの味と香り、野の香り。
トウガラシ餅は、なるほどぴりぴり刺激的。
黒米、大豆、エゴマ、ずべて孝夫君が田んぼと畑で無農薬で作ったものだ。


そして、お屠蘇。
ここにも孝夫君が杜氏で働いてつくった、清酒が登場した。
餅と一緒に持ってきてくれた2本。
1本は、その酒蔵の酒、「黒部」。
もう1本は、孝夫君が「アイガモ農法」で作った米を使っている酒。
1升ビンに貼られたレッテルに、墨黒々と、
名づけて「鴨ん福」。
「カモン福」とは「COME ON 福」
「福よ 来たれ」
そこへ、「合鴨(あいがも)の福」を掛けている。


2008年、福よ、来い。福よ、来い。