八年前、夫婦でオーストリアのチロル地方の旅に出た。飛行機の窮屈なエコノミー座席の隣は日本の若者だった。
ぼくは声をかけた。
「どこへ行くんですか」
「チェルノブイリです」
「チェルノブイリ? へえーっ、あの原発の爆発したところ?」
「はい、これからウクライナのキエフへ行って、チェルノブイリの放射能被ばくの子どもたちを元気にしに行きます。これまで福島原発の事故後、福島の被災地の子どもたちを支える活動をしてきたんですが、放射能によって内部被曝をしている子どもたちに甲状腺ガンが増えたんです。この甲状腺ガン対策で、温熱療法をすると免疫力が高まることが分かって、その活動を企業として行っています。この温熱療法をチェルノブイリの子どもたちにも広げ、企業として社会貢献をしようと一般社団法人を立ち上げたんです。
ウクライナから要請があって、仲間3人で、キエフで、チェルノブイリ被曝者の子どもたちに会い、温熱療法をするんです。チェルノブイリ原発内にも行きます。放射能測定の線量計ももってきました。」
1986年4月26日、チェルノブイリ原発は事故を起こした。ソビエト政府はチェルノブイリ事故から一ヶ月後には原発から30km以内に居住する約13万6千人すべてを避難移住させた。
チェルノブイリ原発事故の放射能はヨーロッパをはじめ、地球上に広がった。
あの時の若者たちは、今どうしているだろう。何を考えているだろう。