かつて文芸春秋社が、「人生の本」という全集を出版している。その第10巻は「心の記録」。そこに森下二郎の、「戦時下日誌」が収録されていた。
森下二郎は、信州上伊那出身で、松本高女の校長を務めていた。内村鑑三に私淑し、敬虔なクリスチャンだった。
この日記は、敗戦後に日の目を見、公開された。戦時中にこの日記が官権に見つかっていたら、大変なことになっていただろう。
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昭和12年12月19日
中国に出征せる弟、戦傷の報あり。正義の戦と言い、平和の戦と言い、そのような戦がありうるか。
昭和13年5月29日
この戦争はどこまでゆくのだろう。内村鑑三先生が生きておられたら、どう言われるだろう。いかなる態度をとられるだろう。先生は日露戦争の時も、(第一次)世界大戦の時も、絶対非戦を主張し態度をとられた。
昭和14年12月30日
中国侵攻。かくのごとき侵略、殺戮が、東洋永遠の平和となろうとは、いかにしても信じることはできない。これが禍根となって、東洋の長き不和混乱が導かれるだろう。現にこの戦争の始められた時、軍部の人の言葉にも、この事変は百年も続く覚悟をせよとあった。これが東洋永遠の平和と言うのか。憎悪と排撃とが平和をもたらすことはありえない。軍部の言う東亜新秩序の建設とは、英仏が東洋においてなしたところを、日本が中国に対してなすことか。英仏が東洋でなしたることは、わが日本が否定し排斥していることではないか。
トルストイは日本に対して、「愛国心より来るところの禍害より免れんことを努めよ」と忠告している。そのとおり。
愛国の名において、いかに多くの罪悪が、我が国において行なわれつつあることよ。
昭和15年7月7日
賀川豊彦先生が、反戦嫌疑で検挙されたということは、先生が真のキリスト者であったことを証するものである。キリスト教会誰ひとり真の信仰に立って、非戦の説を発表せざる時、敢然とこの挙に出られたことは、ありがたく、かたじけないことである。
昭和16年7月17日
内閣組織大命、近衛に降る。内閣強化のためとか。
強化とは、ソ連ともアメリカとも、どしどし戦争をやりうるような内閣というものにあらずや。
兵の大召集、大動員、かくして我が国は、世界大動乱の大立ものになりおわらんとするなり。
日記は続く。そしてこの年の12月、日本海軍は真珠湾を攻撃し、太平洋戦争の泥沼におちいっていって、亡国にいたる。