日本の戦争を終わらせた人々、資料による歴史教育<2>

 「日本の戦争を終わらせた人々 軍人たちの戦争と平和」(中 一夫)の鈴木貫太郎年表から一部経歴をピックアップする。
1918年(大正7)、海軍中将。アメリカを巡る。
1923年(大正12)、海軍大将に任ぜられる。
同9月、関東大震災が起こる。東京へ、彼の独断で援助船を出す。
1929年(昭和4)、侍従長に任ぜらる。
1936年(昭和11)、二、二六事件で襲撃される。侍従長を辞す。
1944年(昭和19)、枢密院議長。
1945年(昭和20)、内閣総理大臣に就任そして敗戦。
 中 一夫氏は資料をもとに、このような経歴の鈴木貫太郎が戦争とどのように向かい合ってきたか読み取りながら、戦争を終わらせた人たちを考察する。

 鈴木貫太郎アメリカ訪問の際、サンフランシスコで行なった演説要旨一部(自伝による)。

 <「日米戦争はやってはならぬ。もし日本を占領するとしたら、アメリカで六千万の人を持って行って、日本の六千万と戦争するよりほかにない。アメリカは六千万失って日本一国をとったとしても、それがカリフォルニア一州のインテレスト(利益)があるかどうか。日本の艦隊が勝ったとしても、アメリカにはアメリカ魂があるから、降伏はしないだろう。ロッキー山までは占領できるかもしれんが、これを越えてワシントン、ニューヨークまで行けるかというに日本の微力では考えられない。そうすると日米戦は考えられないことで、兵力の消耗で日米両国はなんの益もなく、ただ第三国を益するばかりで、こんな馬鹿げたことはない。太平洋は太平の海で、神がトレードのために置かれたもので、これは軍隊輸送に使ったなら両国ともに天罰を受けるだろう」
と言ったら、彼らは非常な喝采をした。‥‥
 翌々日の新聞に、カリフォルニア州検事総長が大きな一頁に満つる論文を書いて私のところに送ってくれた。先生は私の意見に全然賛成するという意味のことを書いてあった。まったく日米戦争の愚かなることを強調した論文であった。アメリカ人には、むしろ率直に露骨なことを言ったほうがよろしい。彼らは淡白に受け入れる美しい点があるなと感じた。>

 アメリカ・ロスアンゼルスの日本人移民に話した演説の一部。

 <移民の頭を解剖すると、『日本に忠節を尽くさねばならぬ、しかしアメリカではアメリカ国民としての義務を尽くさねばならぬ』という二つの意見が対立していた。ずいぶんたくさんの人で、三百人もいたかと思うが、その時の話の趣意をかいつまんで言えば、
 「君たちは本国を去ってアメリカに来ている。アメリカの保護に委嘱している。その地にいる人はその地に尽くすという重大な責任がある。だから君たちは『日米戦争が始まったから日本に帰って忠節を尽くさねばならん』とか、『この地にいて日本のためにやろう』などと考えるなら、初めからアメリカに来なければよかったのだ。
 そんなことは問題ではない。その時に決めればよいことだ。それは二心をいだくことになり、今どうするかを決めることのできないことだ。
この地にいてこの土地に尽くし、『日本のことは忘れよ』とは言わぬが、この土地にこの地の風習をよりよく学んで、日米戦争の起こらないように努力し、将来君たちの子孫が大統領にでもなることを考えたらどうだ。日本人をアメリカ人に教育しようというのがアメリカの教育なら、喜んでやったらよい。君たちがアメリカに参加して参戦し、日本と戦ったとて負ける日本ではない。数万の人がアメリカに参加しても負けない。微動だにしない。それよりも『あの大統領は日本人の血統だ』と言われる者をつくりあげるように勉めるがよい」
と言った。喝采したが、そのうちに相当の愛国者もいるから不満な人もあったかもしれぬ。
 会が終わった後、三、四人やってきて、『今日は司令官から良い話をうけたまわって、みんなが喜んでいる。私どもも同じ考えを持っているが、私どもが口走ったならたちまち大勢の人々から迫害を受けます』と言っていた。『司令官から言っていただいたので、私どもも向背を決せられます』と喜んで帰った。>

 しかし、日米戦争がおこる。日中戦争も拡大していた。鈴木貫太郎は慨嘆する。海軍の軍事力の比率は、ワシントン会議で、米・英・日は、5:5:3に定められている。米英:日の比は10:3。そして日本の工業力、資源は弱小。

 <開戦は、全く「支那事変」(日中戦争)における失敗を国民に隠して、危地を切り抜けようとした無謀な計画にほかならない。いくら戦争に反対しても、その意見を政治的に発動する余地が全く見出せない。枢密院会議では、時の政府の政策に対してくちばしを入れることができないようになっていた。それに開戦に至るまでの計画は政府部内の秘密会議になっていたので、われわれは知る由もなかった。>

 戦争は始まる。「敵」は中国、アメリカ、イギリスだけではなかった。オランダ、オーストラリア、ついに日本に宣戦を布告した国は51箇国になった。

 <国家そのものが滅亡して果たして日本人の義は残るであろうか。生命体としての国家の悠久を万世に生かすとは、国家が死滅してはたして残し得るものであろうか。>

 そして鈴木貫太郎に首相を引き受けるように命が下る。鈴木の感じ取ったのは、天皇の「すみやかに大局の決した戦争を終結して、国民大衆に無用の苦しみを与えることなく、彼我ともにこれ以上の犠牲を出すことのないように、和の機会をつかむべし」という無言の願いだった。
 終戦に至る道程は困難、葛藤をきわめた。いかにしてポツダム宣言を受諾していったか。中一夫氏は、仮説実験授業風に、資料をもとにして帝国日本の崩壊していく様を描いている。
 「日本の戦争を終わらせた人々 軍人たちの戦争と平和」(中 一夫 ほのぼの出版・仮説社発売)、160ページの書物である。2013年7月29日初版300部、9月29日改版500部。こんなに小部数でいいのかと思う。読まれるべき本だと思う。これから望まれて部数はもっと伸びるだろう。