突然、肺ガンがやってきた <2>

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 黒豆の葉が少し色づいてきたが、トマトはまだ実をつけていた。ぼくは信州大学医学部付属病院に入院した。

 病院は大きく、複雑な建物配置で、迷路のようだ。病室は四人部屋、それぞれカーテンで仕切られていて廊下側は薄暗い。

 僕は、体力を維持するために、病棟の階段を一階から十階まで上って下りるという運動を日に二、三回往復した。十階に大きな展望室があることを発見した。西と南に展望窓が開いていて、南北アルプスの山並みが一望できる。しかしこの部屋は、空き部屋のまま放置され、カーテンも破れたところがあり、荒れた感じだった。どうしてこの部屋を活用しないのだろう。患者にとっても、病院職員にとっても、この展望部屋を、憩いの部屋にすれば、緑濃き信濃の景色によってどんなに癒されることか。精神の解放に役立つことか。病人には緑が、自然が必要だ。

 入院四日目手術。医師団は五人、麻酔が効くとすぐさま意識が無くなった。

 五時間ほど経って、意識が戻った。

 「見事な手術でした。ありがとうございました。」

 僕は感謝の気持ちを述べた。

 「ガンは全部取り除きましたが、転移が疑われていた部位をはがすのが大変でしたよ。」

 浜中医師が笑顔で言われた。

 

 夜、幻覚症状が現れた。同室ベッド隣の人のところに数人の人がおり、周囲でガヤガヤと声がする。ぼくは、これはてっきり秘密の選挙事務所を誰かが病院内につくっているんだと思い、耳を澄ました。知っている婦人の声もする。これは何とかしなくてはならん、こんなこと許されない、どうしたらいいかとしきりに考えていたらまた眠っていた。

 体は酸素ボンベにパイプでつなでつながれ、十本ほどのコード類でがんじがらめだ。夜中のトイレが大変だ。ベテラン看護師さんの甲斐甲斐しいお世話のおかげで、ずいぶん助けられた。若い看護師さんがたくさんおられ、そのみずみずしい、温かい看護がうれしかった。

 二日ほどして落ち着き、あの夜のことは幻覚だったのだと理解した。体を拘束しているものもはずれていった。少しずつ歩く距離を延ばすようにした。

 デイルームへ行って、書棚の、椎名誠カズオイシグロ高橋哲哉の書を読んだ。

 椎名誠は、世界各地への冒険の旅に出ていた。その中には、「十五少年漂流記」や「ロビンソンクルーソー」の舞台となった島を探す探検も含まれている。

 その椎名も、ウツになることがあったのだ。こんなことを書いていた。

 「私は夜更けに目を覚ます。大きな部屋の窓が接近してくる。四方の壁が接近してきて、天井との間で自分はじわじわと押しつぶされていく。私は絶叫した。冷たい汗の中で目を覚まし、必死で部屋の端ににじりより、窓を開ける。しかしホテルの窓は顔さえ出せないくらい狭い幅しか開かない。」

 ホテルの窓が開かないのは、自殺防止のためだったという。その環境、病院もよく似ている。僕のベッドは、廊下側にあり、窓はない。外は見えず、太陽の光は差し込まない。信州の自然とこことは断絶している。(つづく)