42日ぶりに書く。
八月、咳と痰が、二、三か月前から、続いていたから、かかりつけの近所の医師に診てもらった。レントゲンには何も映らなかった。
「おかしい」
僕は医師に紹介状を書いてもらって、日赤安曇野病院に行った。CTで調べた結果が、「肺ガン」、映像を観ると白いものが映っている。
僕が肺ガンになるなんて、なんということか。
即刻、信州大学病院に紹介状を書いてもらって、指定日に行った。
それから日を措いて、精密検査が始まった。CTスキャン、近視鏡、MRI、ペット、呼吸器機能、いろんな検査が次つぎと行われ、肺ガンが確定。リンパ節への転移の可能性もあり。五年後の生存率約50パーセント。
ここから治療方法についての葛藤が生まれた。主治医は、ぼくの体力を見て、手術がいいのではないかという意見。
僕の弟に電話すると、
「後期高齢体に手術すると、それによって余計に体力がなくなり、かえって寿命をへらすことになりかねない。何もしないという選択肢もある。放射線療法という選択肢もある。」
という。さて、どうすべきか。
そこで主治医に率直な葛藤の手紙を書いた。
「8年かけて書いてきたライフワークの小説があり、その完成が近いので、それをなんとか仕上げたいです。」
返事の電話が来た。
「ではまた相談しましょう。病院に来てください。」
病院へ行って相談、
「念のために一度、放射線科の医師の意見を聞きますか。」
ということになって、また別の日に病院へ行って、放射線科の医師の意見をいろいろ聞いた。
結論、
「ガンの位置が、大動脈に近いから、放射線はおすすめできませんね。」
これで決まった。手術をしてもらおう。
この過程で、信州大学病院の複雑綿密なシステム、誠実で先進的な医療体制が見えてきた。そして患者の声に真摯に耳を傾ける医師団の姿に感銘する。
ぼくはもう迷いもなく、治療に専念することにした。
しばらく畑や庭の世話もできない。草欠きをした。(つづく)