霧の村石を投(ほう)らば父母散らん
今は亡き兜太の句、霧の村は彼の故郷の秩父。
彼は、戦時中南方戦線に送られ、昭和二十年トラック島で飢餓状態のなか敗戦を迎え、米軍の捕虜になって生きのびた。兜太は戦後、前衛俳句を詠み、戦を憎み、戦争に加担する一切を拒否する。
霧に包まれた生まれ故郷。懐かしい。そこへむけて石を投げれば、わだかまっている父母の魂は雲散霧消するだろう。石を投げることは故郷と決別すること、だがわが心は故郷にわだかまる。
彎曲し火傷し爆心地のマラソン
ヒロシマ、ナガサキ、爆心地でのマラソンは、あの日の逃避行を走ることでもあった。
学生時代の友人、イーさんは兜太に師事した。イーさん(井筒安男)はもう遠くに亡くなった。五十何歳かで教員を辞め、奈良駅の清掃員をやりながら俳句を作り続け、五十七歳で命が尽きた。
彼の一生は俳句とともにあった。
イーさんの句。
戦(いくさ)だけはとチョークを小さく小さく折らる
派兵法通る毛箒に綿からまる
いっしょに掃こうベンチでタバコ吸う少年
りんりん霜ぼくも容れてもらえそうな朝
兜太・葦男の影を掃き日なたを掃く