イーさん

 イーさんの最期を教えてほしい、彼は何に苦しみ、どんな心境で逝ったのか、大学を卒業してから一度も会うことがなかった彼のことを知りたい‥‥、
 ぼくの送った手紙に、小松さんは丁重な返事をくださった。それも「井筒安男句集」、「水焔句集 井筒安男追悼号」、「未完現実 四月号」などと合わせて送ってくださった。昨日、雨の中、若い女性の郵便局員が配達にきて、両手で手渡してくれた。
 小松さんはイーさんの勤めていた高校に赴任されてイーさんに出会い、イーさんの主宰していた句会の同人になられたとのことだった。そして今「未完現実」の代表をつとめておられる。

 イーさんの亡くなったのは、1993年8月18日だった。ぼくの知るのはそれから3年後、友人から亡くなったことだけを聞いたのだった。
 句集の最後に、年譜が書かれていた。57歳逝去となっている。
 ぼくは昨日、夜寝るまで句集を読んだ。
 年譜によると、イーさんは、1970年に長男を誕生後六カ月で亡くしていた。その悲しみにかかわる句も読んだ。
 イーさんは46歳から高校の生徒指導部長になり多忙をきわめたという。うつ症状が現れるのは53歳からのようだ。それから学校を休んで療養生活を送っている。そして56歳で退職をして、近鉄奈良駅の清掃員になった。
 句集の中に、「掃く ―奈良駅清掃記」がある。


   清掃夫ひとの顔見ることもなし

   驕るな乞うなさくらはいつもひとりきれい

   今日ホームにあやめの鉢周囲掃かねば

   春塵や火を持ってるかとホームレス

   ゴミだけがわかる箒のさびしさは

   脚にそれぞれ顔あり階(きざはし)を掃きはじむ 

   掃いてナンボ「詠まざる詩人」などはなし

   兜太・葦男の影を掃き日なたを掃く

   ゴキブリ活きいき壁這う清掃詰所よし

   コオロギをチリトリに掃き入れてしまう

   寒山よりさびし人動く奈良駅

   いっしょに掃こうベンチでタバコ吸う少年

   清掃青服似合うと思う便所にて
 
   階を仰げば冬青空はいつも四角

   きれいに掃き終う冬青空はもっときれい


 清掃員として、青い服を着て青い息を吐き、駅の地下ホームから切符売り場、階段、駅の上まで、無心になって清めていく様子が感じとれる。奈良駅のホームは地下にある。確かに階段の下から上を見れば空は四角だ。
 「兜太・葦男の影を掃き日なたを掃く」、金子兜太、堀葦男は、イーさんの師だった。翌々年、堀葦男逝く。イーさんは五カ月後、追うように逝く。

   
   堀葦男逝く手を挙げておいおいと


 イーさんは優しい男だった。そしてすばらしい感性を持つ男だった。「水焔句集」の追悼文には、多くの人から愛されたイーさんの人柄がにじみでていた。
 「句を愛し、人を愛し、自然を愛した、繊細な先生。」
 「教育荒廃の非常に困難ななかで、心身を擦り減らしてまで頑張られた。」
 「井筒安男は職場にいるときも、鶴橋のガード下で共に飲んだくれているときも、常に『詩人』の眼差しで生きていた。」
 「『作品鑑賞』は天下一品。先生は句に否はなかった。すべて肯定、その筆によって評された句はすばらしく昇華した。」
 「常に生の真実とそのなかに潜む迫真の悲哀に、彼は愛の本質とその空しさを洞察し涙した。」