「新相馬節」


 ふるさと相馬を想い、「はるか彼方は〜 相馬の空かよ〜 相馬恋いしや〜 なつかしや〜」と歌う男性が号泣するテレビの画面を観て、悲しみが胸を突いた。あれから二年がたつ。
 想いをのせる歌にこれほどぴったりの歌はないのではないかと思う。その地に生きつづけてきた土着の民の歌、民謡には地の民の魂が宿っている。被災地をめぐって「新相馬節」を布施明が歌い続けているという。インターネットのYOU TUBEで検索すると、その歌が出てきた。福島の地元の人が歌う歌、布施明が歌う歌、他県の民謡の歌い手が応援の心をこめて歌う歌、それぞれの特徴をもちながら、哀しみと共感と励ましが切々と伝わってくる。帰るに帰れないふるさと、帰りたい帰れないふるさと、思いのたけのこもる節回しが長く尾を引いて空に消えていく。
 遠くなった青年期、美術の教師として22歳で赴任してきた井上誉さんと、1年先輩だったぼくはたいへん親しくなった。ある日彼は、「南部牛追い唄」をろうろうと歌ってくれた。
 「田舎なれども〜 南部の国はよ〜」
 それは、岩手県の民謡、沢内村から盛岡や黒沢尻にある南部藩米蔵まで、米を運ぶ牛方たちが唄った仕事唄だった。ぼくはすぐに教えてくれと言って、何度も彼に歌ってもらっておぼえた。日本の民謡にこんなにもいい歌があるのかと思った。
 その後耳にした「新相馬節」も、心に残る歌だった。
 「新相馬節」は、相馬地方に伝わる「相馬草刈唄」を陰旋律化し、宮城県の「石投げ甚句」の趣を取り込んだと、新聞の特集記事に書かれている。(朝日)
つらく苦しい労働であっても、同じ動きを長時間やり続け、家族親族や村の仲間と力を合わせて働いた、毎日がその繰り返しだった時代、心を通わせ、心をつなぎ、心をひとつにするのが仕事唄だった。
 新聞記事に、高校3年生の女の子、佐藤木綿子さんのことが書かれていた。9歳のころから民謡を習っている。今も仮設住宅から福島市内へ習いに行く。震災後、「新相馬節」の歌詞がすごくよく分かるようになった。今いちばん歌いたいのは「新相馬節」だと言う。介護、福祉施設でこの歌を歌うと、一緒に歌って涙を流す人がいる。「新相馬節」は特別な意味を持つ歌になってきた。原発が爆発したあと、飲み水がなく、給水車を待つために高線量の放射線がそそぐなかで母と二人で長時間立っていた。甲状腺検査を受けて「問題なし」と言われても信じられない。大人になっても子どもを産めないかもしれないと思う。
 「はるか彼方は〜 相馬の空かよ〜 相馬恋いしや〜 なつかしや〜」
 震災後2年目の3.11が来る。