秋、ひととき物思い


 ただぼんやりとしていた。考えるともなく考えていた。
 秋深まるロシアの大地が心に浮かんだ。本棚の「静かなるドン」をぱらぱらと開いてみた。
 チャイコフスキー交響曲に取り入れたロシア民謡「野に立つ白樺」が頭の中で鳴った。
 何冊か詩集も開いてみたが、とりとめもなかった。
 やっぱり意識は茫洋と拡散したままだ。
 秋が深まっている、外を見る。白バラが咲いている。カラスがタマネギ畑を荒らしている。
 ぼんやりとした頭に浮かんで消えていく景色があった。
 ネパール、ポカラの町から奥へ、アンナプルナへ、ぼくはバスを降りて、ひとり尾根道を上がっていった。
 小さな美しい村が尾根の上にあった。
 村の細道の両側に石塀がつづき、石だたみがくねくねとつづく。
 石の家が建っていた。
 石壁にホテルと書かれた民宿に入った。
 その家に10歳ぐらいの少年がいた。宿で働く少年はニコニコと愛想がよかった。
 ポッポッポー、ハトポッポー、
 少年は大きな声で日本の歌を歌う。いくつか日本語を知っていた。
 きっと日本の登山客から日本語を習ったのだ。
 少年はノートと鉛筆をもってきて、日本語を教えてほしいと言った。
 ぼくらはテーブルに向かい合って座り、勉強をした。
 山から下りてきた欧米の登山者がのぞいて、
 スタディ ジャパニーズ、と笑った。
 夕食は、豆の料理を食べた。登ってくる途中の茶屋で食べたのも豆料理だった。
 二階の相部屋に、ベッドが並んでいた。素朴な木で作られたベッドは清潔で、窓から涼しい風が吹いてくる。
 窓の外の村の道を、牛が家に帰っていく。
 すっかり暗くなってはいなかったが、木の雨戸を閉じてぼくは眠った。
 夜中、便意を催して眼が覚め、家の外の離れになっているトイレに行った。
 少年はまだ起きて庭で仕事をしていた。宿の主もいっしょだった。その人が父親なのかわからない。
 星が出ていた。
 トイレに入ると下痢をした。そのことを少年に言うと、やさしくいたわってくれた。
 翌日、少年はずっとぼくに付ききりだった。出発すると、村の外れまで見送ってくれた。
 山の民宿の光景は、そこで消えた。
 いまごろチロルはいいだろうな。北欧もいいだろうな。秋は寂しいだろうな。
 ノルウェイフィンランド、誰もいない静かな山道、森の道、歩きたい。
 冬が来る。
 ぼんやりものを思う。
 こんな日もある。
 台風が来ている。