「よくかみなさい]



 ご飯は88回かみなさい、昔はよくそう言った。
 米の字から、八十八という数字を引っ張り出したもの。
 かめばかむほどいい、それは現代もよく言われる。
 健康にとって、かむことの重要性は常に強調されてきた。なおも強調しすぎることがないのは、現代の食生活が常に「かむ」ということの逆行だからでもある。
 先日、生物学者福岡伸一が「動的平衡」(朝日新聞)に、へえーと思うことを書いていた。

 「お正月のおせち料理やお雑煮はしっかりかんで食べましょう。消化が良くなるように。消化とは、食べ物を細かくして栄養を取り込みやすくする作業だと思っていませんか。実は、消化のほんとうの意味は別のところにあるのです。
 食べ物は、動物性でも植物性でも、そもそもは他の生物の一部。そこには元の持ち主の遺伝情報がしっかりと書き込まれている。遺伝情報はタンパク質のアミノ酸配列として表現される。アミノ酸はアルファベット、タンパク質は文章にあたる。他人の文章がいきなり私の身体に入ってくると、情報が衝突し、干渉を起こす。これがアレルギー反応や拒絶反応。
 それゆえ、元の持ち主の文章をいったんバラバラのアルファベットに分解し、意味を消すことが必要となる。その上でアルファベットを紡ぎ直して自分の身体の文章を再構築する。これが生きているということ。つまり消化の本質は、情報の解体にある。
 食用のコラーゲンは魚や牛のタンパク質。食べれば消化されてアミノ酸になる。一方、体内で必要なコラーゲンはどんな食材由来のアミノ酸からでも合成できる。だからコラーゲンを食べれば、お肌がつやつやになると思っている人は、ちょっとご注意あれ。それは他人の毛を食べれば、髪の毛が増えると思うに等しい。」
 ふうん、他の生物の遺伝情報を解体するということなのかあ、そういう行為だったのかあ。科学者のこの情報に瞠目。

 秋に収穫した黒豆を煎って、ときどき食べている。ぽりぽりぽりぽり、噛む力が少しいる。噛めば噛むほどおいしい。
 暮れから帰ってきていた四歳になる孫娘が、この煎り豆の存在に気づいて、ぽりぽり食べ始めた。
「おいしい、おいしい」
 小学三年生になるその子の姉も食べ始め、小学四年生の男の子の孫も食べ始めた。
 煎り豆は、口の中で噛み砕かれ、唾液で柔らかくなり、芳しい豆の味が濃厚になる。食べている孫たちは、遺伝情報のことなど知りもしない。
 ただ、おいしい、だから噛み砕く。
 煎り豆のおいしさに気づいたということ、煎り豆というもっとも原初的なものを、おいしいと感じたということ、そして煎り豆を噛み砕いて食べることが、命を活気づけるということ、孫たちは教えられるまでもなく、そのことを分かって食べている。