日本の学校は?



 無表情でぶっきらぼーで、どことなく暗い感じのする彼が、小声でぼそぼそ語り出した。それまであまりしゃべりたがらなかったのに、突然語りだしたのは、彼が語る気になったからで、語る気になれなかった状態から解かれたからで、その変わり目が来て表情が変化した。無表情が消えて、表情が生き生きとしてきたのだった。この夏までドイツの高校へ留学して三カ月体験し、来年また一年間行くという話、それにぼくが強い関心を示したからだった。
 彼は話した。日本の中学校の学校体制、それは彼を束縛するものでしかなかった。しゃくし定規な指導、管理体制、硬直した授業、自由度のない教師たち、たぶんそういう学校に息が詰まったのだろう。彼はその状態をなかなか的確に話した。
 彼のように息の詰まった生徒は、生気を失い、無気力になり、現状に不満を抱き、批判的にもなる。そうなれば、教師たちの彼への見方がどうなるか、ぼくは充分に想像できる。理解できる。教師の偏頗な見方が彼に注がれたのだろう。だから彼もまた自由度を失い、自由な学習をそこに見出すことができなかった。そこで彼は日本を脱出することにした。自分でそう考え、そうする道を調べた。情報をネットで調べるとドイツ留学が見つかった。家族も支援してくれて、彼はドイツへ行った。そして三か月間体験的に学校に通って、地元のサッカークラブにも入った。彼は、日本にはないドイツの学校教育やスポーツクラブのゆとり、自由度、教育への支援態勢、合理性、教育観、ドイツ人の友好性を知った。体験した。
 自己を語りだした彼は実に饒舌だった。
 彼が適応できなかった日本の学校教育の話には、ほんとうにぼくもそうだと思う。いったい戦後71年かけて、日本は何を生みだし、何を積み上げ、何を確立し、何を目指しているのかとぼくは痛切に思う。
 「学校は、わが学びの場にあらず」と、学校を見放した十数万人の子どもたちのいる日本の現実。それは単なる不適応ではない。
 海外留学、それは彼にとっては希望になっている。スウェーデンノルウェー、ドイツなどの国では、留学生に対しても教育費無償に近い支援があるという。
 行っておいで、来年一月の末からドイツへ。
 ぼくは応援したい。彼はそれまで、ここで勉強する。