教師たちの教育談義

 昨夜、日本語教室に来たのは、幼児二人を連れた中国人のお母さんと、ベトナムの実習生男子二人、そして中国人の若い奥さんだけで、いつもの中国人実習生の女の子たち7人が来なかった。天候が悪かったせいかもしれない。指導者は7人いて、3人が指導に当たり、4人が指導する相手がいない状態になった。幼児二人は、上の女の子が4歳、下の男の子が2歳。
 教材を準備していたら、S先生が、ぼくの所に来て、指導方法や指導体制についていろいろ意見を出してきた。それがきっかけになって、机を囲んで指導者4人の輪が教育論議になった。Sさんは、北海道で元小学校の先生だった。昨年安曇野に来て、ボランティアによる外国人の日本語教室を知り、指導者メンバーに加わった。日本語教室には、指導者全員に共通した指導方法、教材など確立されたものはなく、生徒の実態を見ながら指導方法をその都度考えるやり方になっており、教える生徒も出席状態がよく変わり、Sさんはそれにとまどい、どうしていったらいいのか分からないということだった。この率直な意見の表明があって、議論が盛り上がった。
 教室の向こうのほうでは、N先生が、中国人のお母さんと上の女の子に教えている。2歳の男の子は部屋のあちこちを歩きながらひとり遊びをしている。O先生は、若い中国人妻を教え、H先生はベトナム青年二人を教えている。そして教室のこちらで指導者4人が話し合っている。話し声はみんな耳に入るが、自分たちの学習や話し合いに集中しているから、気にならない。
 それぞれどういう考えで、どんな思いで、どんなやり方をしてきたか。日本語教室での指導の方法や考え方などを話し合っているうちに、ぼくは、こういう話し合いが、今の学校現場にあるだろうかと、ふと思った。
 「こういう率直な議論ができて、よかったなあ。今の学校現場では率直に子ども一人ひとりの姿を思い浮かべながら、教育論がかわされていますかねえ。教師たちは自分の殻にこもって、あまり他の教師と教育論を交わしていないんじゃないかと思うんですよ」
Sさんが応えた。
 「先生たちは忙しいですよ。同僚とじっくり教育について話し合う時間はないですよ」
 「ぼくらが青年教師だったころは、勤務が終わって学校から出ると、同僚と飲み屋や、あるいは喫茶店に入って、生徒のこと、教育論をよくやりましたけどねえ」
 あの子はどう、この子はどう、いろんな生徒の情報が飛び出た。自分の知らない話もある。愉快な子どもの話には爆笑しながら、たちまち一時間二時間が経過した。
 Sさんはうなずきながら、
 「今の教師たちは孤立していますよ。インターネットには向かい合っているけれど、同僚と向かい合うことが少ないですね。同僚とのコミュニケーションは、ものすごく少ないですよ。子どもと向かい合う時間もない」
 「教師が孤立している、孤独であるということと、最近の長野県の教師の不祥事と関係があるように思いますねえ」
 「悩みを抱え、誰にも言わず、解決もできず、孤独なままで、ひょいとあのような、万引きでしたねえ、教師が万引きした」
 「教師同士が、交流し合い、情報を交換し合い、おもしろい授業をすることにやり甲斐を感じ、愉快なクラスをつくるのに情熱をかたむけることができていれば、仕事は楽しく満たされ、変なことする気も起こらないでしょうねえ」
 「ぼくは、今の教師たちは、驚くほど教育の歴史や先人たち、日本の教育の先輩たちの教育論や実践論を知らないなあと思いますねえ。ひじょうに狭いところで、自分の世界だけで実践している。日本の教育、世界の教育の情報を知らないんですよ。現場もそうだけど、教育行政も同じではないかなあ」
 「親も大変な親が増えていると聞きますねえ。我が子しか見えない。我が子だけ見て学校に要求する。先生と親との信頼関係がないんじゃないですか」
と、Tさん。
 教育談義は一時間半、あっという間に時間は過ぎた。その後は、教師と生徒全員で、30分ほどお茶を飲み、お菓子などをつまみながら歓談する。

 ぼくは最近聞いた大阪の教師たちのことを思い出した。
 「大阪の教師たちも大変な状態ですよ。上から下への統制が行なわれて、自由な、創造的な実践は生まれないですよ」
 学校の中で、教職員組合の教師が集まって、教育について話し合おうとしても、学校の中で教組の集会はしてはならない、と禁止される。先日大阪で実践しているマートからそれを聞いたときは、これはもう戦時体制の教育ではないかと錯覚する思いだった。今は教職員組合に加盟している教師は数えるほどしかいないと彼は嘆く。
 教師を枠の中にはめ、教育行政の思い通りに、管理職を通じて教育を統制できたとして、当の子どもたちは、どんな子どもになっていくだろう。学力テストの点数を極度に重視して、心を育てることをなおざりにする。それについていけない子は、たぶんドロップアウトしていくだろう。学校教育からはじき出された子どもはどうなる? 「非行」に走るか、自分の中に閉じこもっていくか。
 教師たちは疲弊している。定年間近の教師たちは、弓折れ矢尽き、早期退職を望む人も多い。
 型破りの教師、個性的な実践を生み出す教師、学校を子どもの楽園にする教師、そういう教師がほしい。
 わいわいとみんなで教育談義、子ども談義を楽しむ教師をこそ育てたい。
 独創的な発想をする子ども、仲間に働きかける活動的な子ども、そういう型破りの子どもをおもしろがる教師は学校の宝。
 そういう教師が、学校教育を変え、子どもを変える。
 日本の教育行政は、たいへんな誤りをしているのではないか。教育談義の後、そんなことを思った。