「無着成恭 ぼくの青春時代」<2>


 人生を通して、ぼくは戦後の教育を体験してきた。たくさんの教師たちがぼくの人生を通り過ぎていった。戦後の自由な教育改革の中から生まれてきた創造的献身的な教師たちの数々の実践と情熱に共鳴し、一方で、戦前の体質を温存して生きる権力的教師たちや、自己保身と昇進にこだわり、研究と実践をないがしろにしている教師たちを慨嘆もしながら、遅々として進まないように見える日本の学校教育の真の姿はなんだろうかと、思いはいつも子どもたちの上に飛んだ。もっとも危惧するのは、学校の教員たちに、討議・討論と言えるもの、研究と言えるものが、日常的にどれだけ存在してきたかということだった。
 戦後70年、科学技術・工業技術は大きく進歩した。医学も進歩した。スポーツも次々と記録が更新した。そこには絶えざる研究と実践があり、成果が公になり、響き合い、切磋琢磨がなされてきた。では学校という世界はどうなのかと。

 「山びこ学校」の無着先生は、戦後の学校教育をつくる実践にあたって大切にしたのは、討議だった。そこでまず歴史的人物を研究することにした。教壇に立って間違いのない、自信のある授業をするためには、科学的に正しい人間の発展の歴史を身につける以外に方法はない、と論議され、その結果、歴史をいちばん簡単に身につける方法は、十五人の先生がみんな、足利尊氏なら足利尊氏を研究してきて、みんなで語り合い、足利尊氏という人物がなぜ歴史のうえに生まれてきたか、そのときの社会的な条件はどうだったか、などと吟味すれば面白いということになったのだ。山元中学校のこの教育研究会は、水曜会と名付けられた。
 無着先生は、水曜会で「東西ドイツ青年からの手紙、ぼくらはごめんだ」という本をテーマにして感想を述べた。その発表が、「人間の記録 無着成恭」のなかに収められている。

 「いちばん感じたことは、ヒットラーナチスに対して、徹底的に批判していないことではないかと思う。たしかにアメリカやソビエトの現在のやり方に対する批判は痛快であるけれども、私たち日本人にとっては、歴史的な方向を見定めるために、ぜひ東条や軍国主義というものを全日本人が頭の中で洗ってみなければならないと思う。この本の中に、今ごろ、東条の軍閥ヒットラーにたいする批判がゆるされていたって、いったい、そんなもののどこが、言論の自由だというのですか?というところがありますが、このへんが日本とドイツとの決定的な違いではないかと思って読みました。やっぱり日本では、今ごろと言われるかもしれないけれど、東条や軍閥天皇を、批判できるようになったこと、そしてそれを徹底的にしてこそアメリカやソビエトに対しても批判ができる、という段階なんではないかと思うのです。ただ、日本でたりないことは、新聞自身が自己批判をさけていることだと思います。新聞の今の調子は、戦争中から民主主義者だったというような顔つきで、東条の軍国主義を批判していることです。新聞は頬かぶりしているのです。ここに日本の現在の問題があると思うのです。」
 無着がこう発表したことに対して、賛否の意見が出されたようだ。その本の次の箇所はみんな同感だと言ってくれたと無着が記していることからそれが伺える。ドイツ青年の手記の一部。

「君たちがなんの私心も党派色もなく、ただ人間として本心から平和を叫び、戦争反対をとなえたとしても、君たちは“赤の手先”というレッテルを貼られて、弾圧されてしまうのではないのでしょうか? かれらは、じつは、君たちを“赤の手先”だと思い込んでいるから弾圧するのではなくて、平和を叫ぶ人間や、戦争反対をとなえる人間を弾圧したいから、その口実を作るために、君たちに“赤の手先”などというレッテルを貼るのです。」

 この箇所に、先生たちはみんな「たしかにそうだなあ」と言う。水曜会が終わったのは午後六時半だった。
 水曜会で討議したテーマに、「盗みをなくすことができるかどうか」というのもあった。その討論も活発だったようだ。盗みはなぜ起きるのか、と考えていくと、十分に働くことのできる仕事がないという現実社会に議論が向かう。次に、その仕事に対する目的意識はどうなんだ、ということになった。仕事の価値を認識していなければ、仕事への情熱もわかないではないか。「おれは、この仕事をとおして、貢献しているんだ」という考え方になれば生き甲斐があり、仕事を愛することができる。では、そうなるにはどうすればいい? 議論はこうして延々と続き、発展して、とうとう盗みはなくなるというところまで行った。
 教師たちのこのような情熱が、子どもたちへの教育活動につながって、「山びこ学校」の実践となった。無着成恭はその後、明星学園の教師にもなる。そうしてその実践理論も変化進展し、「続山びこ学校」となって発表された。

 討議する、現実をつかまえる、問題意識を持つ、問題の核心をとらえる、解決を考える、このような話し合いを教師集団のなかに育てていく実践は、戦後の学校現場や民間教育研究会の重要な目的でもあった。教育科学研究会の実践、全国生活指導研究協議会の実践、仮設実験授業研究会の実践、生活綴方教育を継承する日本作文の会の実践、同和教育の実践など、何十何百の教育研究が萌えいずる若葉のごとく生まれ出てきた戦後、その情熱を今の日本の教師たちはどれだけ継承しいるだろうか。
 今の学校で、議論し、意見を出し合い、自分の考えと異なるものであってもまず「よく聴く」ということがどのように行なわれているだろうか。